Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

曲がり角

僕は曲がり角が好きだ。

知らない街を歩いても、美しい曲線を描く路地裏の曲がり角に釘付けになる。そして、必ずその先にあるものに強烈な興味を覚える。

曲がり角には、それを超えたらそれまで見たこともない光景が広がっている可能性がある。もちろん、それまでの光景の延長の可能性もあるのだが、わけのわからない期待を抱いてしまう。

初めてヨーロッパを旅したとき、僕はひたすらそういった曲がり角の写真を撮り続けた。

日本では直角の曲がり角がほとんどだが、ヨーロッパの曲がり角は緩やかな曲線を描くことが多い。それが僕を魅了した。

プラハやパリなどの曲がり角は、本当に美しい。今でも鋭角的な光線でコントラストをつけた、美しい曲がり角を時々頭の中に思い浮かべることがある。

日本に住み始めてからはそんなロマンを抱くこともなく、淡々と街を早足で駆け抜け、立ち止まって空を見上げることすらない。金のなかったロンドンに住んでいたときでも、ひまさえあれば街を歩き、知らないストリートで写真を撮り、また次の曲がり角を探した。

今では、知らない街を歩くことさえなくなった。きっと日本という国は、ほかの国よりも義務や制約が多いのだと思う。そこで時間と体力を浪費してしまう。

僕は最近になってようやくそういった術を学び始めた気がする。今まで、まるで無頓着だったし興味もなかったが、今ではそんなことが許される環境にはいない。

曲がり角は美しい。 そういった概念すら、今の僕にはない。

そんな余裕がない。 明日のことを考えることで精一杯になっている。いつからそうなったのかすら、わからない。曲がり角に魅かれるということは、言い換えれば未知の事柄に魅かれているということだろう。

未知の事柄を受け入れる余裕すらないなのだろうかと自問自答してみる。20代なんてなにも持っていなかった。ようは失うものなんてない人間には、たいした曲がり角なんてない。

すべてが未知であり、挑戦なのだから、僕には選択する必要すらなかった。しかし、今は違う。まだ先の話かも知れないが、いつか自分が手に入れたものを捨てるリスクを犯しても、挑戦しなければならないときがある。

そうなったときに、初めて僕は人生の曲がり角というものを経験するのだろう。