Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

マグナム

今日、注文していたリーズ・サルファティ(Lise Sarfati)の写真集が届いた。 彼女は、アムステルダムで開かれたドキュメンタリーカメラマンためのワークショップで、僕の教官だったので、少なからず興味を覚えていた写真家だ。

日本ではそれほど知られていないが、ヨーロッパではかなり有名な写真家らしい。 会った当時は、マグナムの写真家というだけでそれほど気にも留めていなかった。

彼女の場合、そのパーソナリティがあまりに強烈だったので、ひとりの写真家として認識するのに、かなりの時間を要した。

最初のレクチャーで、まず度肝を抜かれた。
20人のグループが5人ごとのグループに分かれて、それぞれ一人づつの教官が付くのだが、どの教官も世界報道写真展で有名なワールド・プレス・フォトが主催しているだけあって、選りすぐりの人たちばかりだ。

もちろん、リーズもあのマグナムの一員なので、すごい人に違いない。

しかし、彼女のレクチャーが始まって、20人全員があっけにとられた。
誰もがフランス語を話していると思ったのだが、10秒ほど経ってからようやくそれが英語だと気が付いたのだ。

もしかしたら、レクチャーでは素晴らしいことをいっていたのかもしれないが、あまりのひどいフランス語訛りに誰もが理解不能におちいってしまった。

まあ、しかし言語の問題はどうしようもない。

そのワークショップの課題は「移民」をテーマに各自、写真を撮り下ろすことだった。僕が選んだのはブルガリア人の女の子とオランダ人のカップルで、彼らのあいだには生まれて八ヶ月ばかりの赤ん坊いた。

baby

僕はなぜかその赤ん坊と馬が合ってしまい、彼の写真ばかり撮ってしまった。
言葉をしゃべれない彼は、僕に何語か分からない言語で話しかけ、ひたすら自分の好物のチョコレートをくれたりして、かわいい子だった。

リーズにとっては、写真のテーマやコンセプトなんてどうでもいいらしく、「写真は、写真が良ければそれでいいの!!」と身も蓋もないことを言っていた。
挙句の果てに、毎日ワークショップに遅刻してきては、「昨日のマリファナはイマイチだったわ」などといって、ひとりごちていた。

ただ、いざ自分の受け持った写真家たちが発表し、そのなかの一人がほかの人間に批判されると徹底的に擁護するという人間的な面もあった。(でも、そのまえにリーズは批判されたその写真家をこっぴどく批判していたが、ほかの人間から批判されると腹を立てるらしい)

僕の写真はというと、「どうしてあなたの写真はいつも、ボン、ボン、ボーン!なの?」と言われた。
直訳すると、感情をストレートに込めすぎている、とそういうことか?

baby

物事を好意的に解釈するたちなので、あまり深くは考えなかったが、彼女からはそれほど批判的なことを言われなかったことだけは覚えている。

最近、そのとき一緒だったドイツ人写真家のマークに、インドやモロッコの写真が載っている自分のHPを見せると、「リーズの写真に似ている」と言われた。

内心「あんなやつには似ていない」と断固して思ったことを記憶している。

しばらく経って、よくよく考えて見ると、リーズは恐れ多くもマグナムの写真家なので、それほど不名誉なことではないのだと気付き、彼女の写真集を注文してみた次第だ。

彼女の写真と自分との写真を比較して見ると、パーソナリティの差は歴然としている。 僕のほうは至極まともだ。

マークがいうように、光の使い方や色の使い方などは、ちょっと似ているかもと思うが、なんともいいようがない。

彼女はロシアを精力的に取材していて、とくに秀逸なのがロシアの少年刑務所を撮った写真だ。
僕が気になったのは、光やカラーにデフォルメされたその美しい写真郡は、実際そこにある悲惨な現実がまるで反映されていないのではないかということだ。

ワークショップでも、リーズに聞いてみたが、彼女からはもちろんまともな答えなんて返ってこなかった。
今、分かるのは、彼女はその場にあるリアリティよりは自分の頭のなかにあるリアリティだけを追求しているのだなということだ。

美しく彩られたロシアの刑務所なんて、ひどく残酷なように見えるけど、彼女には色と光とその瞬間しか目に入らなかったのだろう。
そこには皮肉もないし、なんの残虐性もない。

自分が志向している写真も、どちらかというとそういう写真なので、ようやくマークがいっていた本当の意味を理解できた気がする。