Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

マリア

年末年始はロンドンに滞在した。
短い滞在だったが、久しぶりに会う友達と旧交を温めて、やはり住みやすい国だなと思った。

僕がロンドンに住んでいたのは10年近く前で、しかも滞在期間も一年半程度だった。 それでも、その頃仲良かった友人たちはまだロンドンに住んでおり、それはそれでけっこう珍しいことだと思う。

NYやロンドンのような大都市は、あくまで通過点だ。
誰もがそこを目指すが、自分の思いを遂げると、故郷に帰るかあるいはよその国へ行くかだ。 僕たちはそういった意味ではまだ通過点にいるしか過ぎないが、彼らは僕と違ってロンドンに留まった。

そんな僕たちが2、3年周期で再会すると、本当に色々と話すことがある。そのなかの一人、マリアのことについて書こうと思う。

Maria

僕たちはフラットをシェアしたので、多くのときを一緒に過ごした。彼女と彼女のボーイフレンドのセバスチャンと共に、馬鹿なこともしたし、多くのことについて議論した。

僕らは若く希望に満ちていたし、マリアはまだ20歳そこそこで、全身がパッションでできているような熱いラテンの女の子だった。

マリアと会うと、つくづく「本当にこの人のこと心から好きだな」と実感する。ここまでひとを好きになることはそうそうないと思うし、しかも友達として好きなわけで。 ある意味、とても純粋な気持ちだ。

日本にいると、全面的にほかの人に対して好意を抱くことがないように思う。

たぶん、そこまで人に興味を抱くひまも時間もなく、心理的に余裕がないのだろう。友人でもギブ・アンド・テイクが前提になってくるし、もちろんそれはそれで正しい態度なのかもしれないが、どこか味気ない気がする。

それに日本では好意をいただいても、それを表現することは危険を伴う。いわゆる「恥」という感情と密接に関係してくる問題だ。人に対して自分の気持ちを伝えることは、なんだか恥ずかしいわけで、それが根本的にネックになっているのかもしれない。

もちろん、ヨーロッパでも受け入れられない好意というのは屈辱以外の何者でもないが、マリアなんか見ていると受け入れられて当然と思っているので、表現することに躊躇なんてしない。

「節度と常識を持って、好意を表現する」というのが日本なのかもしれない。
最近、そういったことに疲れていたので、マリアみたいなパンチ力のある人と久しぶりに会うと、ずいぶんと心が癒された。

この先なにがあるかわからないが、9年も友達だったのだから、国は違えど、この先も時々お互いの人生を行き来したいと思う。