Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

タクという日本人

19、20歳のころは狂っていた。
なにも比喩的な意味ではなく、事実かなり頭がおかしくなっていた時期だ。

証拠を上げたらきりがないが、そのひとつにイギリス留学中は一切日本語を話すことを自分自身に禁じたことだ。
なぜそんなことを自分に課したかは今となっては定かではないが、きっと日本語を話すひまがあったら英語を話すべきだと考えたからだろう。

僕がスコットランドの首都エディンバラに留学したのは、なにも忙しい人生のちょっとした息抜きというわけではなく、海外に移住しそこに生活の拠点を移すことだった。だから、英語は第二言語としてではなく、ネイティブ並みに話せるようにならないと意味がないと思っていたので、日本語を話すことを自分に禁じたのだと思う。

それを徹底すると、いいこともある。
まずは周囲の日本人からは変人扱いされ、相手にされなくなることだ。
そうなると、やはり英語を話すしかなくなるのでモチベーションも上がった。
しかし、そんなかでも果敢にも頭のおかしい20歳の日本人に興味を持つ同胞もあった。そのなかの一人がタクだった。

彼は31歳の元デザイナーで、海外留学はそのときが初めてだった。
東京で照明のデザインしていたが、海外に憧れがあったので仕事を辞めてエディンバラに来たという。僕とは十歳以上も離れていたので、彼と接するのは気が楽だった。その理由のひとつが、自分が彼の年齢に達するまであと十年以上あるという紛れもない事実だ。今は自分が彼と同じくらいの年になり、彼がなぜ東京での照明デザイナーの地位を捨てて、エディンバラに留学した訳が分かる気がする。

きっと飽きたのだろう。
そのときの環境に、そして何よりも自分自身に飽きてしまったのだと思う。

タクとは一年以上、一緒にいたが日本語を話すことは一度もなかった。
何度なく二人きりになるシチュエーションがあったが、それでも英語で会話をした。その年の年末に二人で一緒にスペインに旅行をしたときも、ひたすら英語で話した。今から考えれば、まるっきり阿呆だと思う。タクもよく付き合ってくれた。それが年上の余裕というやつかもしれない。僕らが十歳以上離れていたのが功を奏したのかもしれない。今なら笑い話になるくらい徹底していた。あれほど一緒にいて、しかもろくに英語が話せない頃によく英語で通したものだ。

今頃、タクはどこでなにをしているのだろう?
僕が32歳なので、彼は43歳になったくらいか。もうりっぱな大人だ。エディンバラのFBIいうUKロックしか流れないクラブで一緒に踊り狂った夜を彼も時々思い出しているのだろうか?当時きっと彼は僕よりも深刻な問題を抱えていたはずで、僕はそれに対してまったく思いやる余裕がなかった。

自分のことしか考えられない20歳の甘えたガキだったわけだ。彼にも甘えていたのだろう。

その当時、一番仲良かったサイモンは「タクは31歳にならないと海外に来る気になれなかったが、きみは19歳ですでに準備が出来ていた。それはすごいことだ」と言ったが、今から思うと少し的外れな気がする。

タクはきっとすでに一度人生を終えていたのだろう。
そして、もう一度自分の人生を生き直すために海外移住という選択をしたのだ。とてもすごいことだ。今の自分にそれができるかというと考えざるを得ない。

彼の生き方が羨ましいとは思わない。
だが、31歳の元デザイナーがなぜエディンバラに来て、20歳の拙い英語しか話さない日本人に興味を持ったか知りたいとは思う。それが彼の闇かもしれないし、自分にとってはなんらかのヒントになるのかもしれない。