Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

サトリ

ミスター・シアストリは村の賢者だ。
牛の乳が出なくなったり、川が決壊しそうになると村人は彼を訪れる。

そんなとき彼はマントラを唱えたり、瞑想をして有益なアドバイスを村人に与える。
僕は彼のアシュラム(瞑想道場)に二週間ほど通った。
北インドの山間にあり、観光客なんてほとんど来ない、とてものどかな土地だ。
彼はよく「昔のおれはもっとすごかった」と言っていた。なんでも話を聞くと、昔は世界中を旅することなく、瞑想すればどこに何が起こっているか見えていたという。それに彼は村一番の踊り手だった。もちろん、踊りなんて習ったことはないのだが、祭りになると駆り出されてトランス状態になり踊り回ったとのことだ。僕が会った頃のミスター・シアストリはいくぶん太り、軽快なステップを踏んで踊る様子は想像できなかったけど。

ある日、村でサンスクリット語で書かれた古文書が見つかった。
デリーから学者が来て、早速それを翻訳する作業に取りかかった。しかし、なかなか翻訳が捗らず、学者は困り果てた。そんなときはミスター・シアストリの出番だ。窮状を見かねた村人に呼ばれた彼は、古文書を見るなりすらすらと翻訳し始めた。驚いた学者は「なんでおまえはサンスクリット語が分かるのだ?いつ勉強したのだ?」と尋ねた。ミスター・シアストリは平然と「前世で」と答えた。

そんな彼にも苦手なことがひとつある。 それがサトリだ。

サトリはミスター・シアストリの友人で、神出鬼没でいつもふらっとやって来ては、またどこかへ消えるという厄介な存在だった。そして、もっと厄介なのが名前の通り、人の心が読めるという。さすがのミスター・シアストリもこれにはお手上げの様子だった。サトリが近くまで来ていると噂を聞くと、彼は落ち着かない。自分の心を読まれて、嬉しい人間なんていないはずだ。それに彼のように一種の神通力のようなものを持ち合わせている人間にとっては、天敵に近い。神秘性も何もサトリの前では効力を失ってしまうからだ。

落ち着かない日々を送っているミスター・シアストリに、大きな問題が持ち上がった。その問題を解決するには、デリーに行く必要があった。けれども、彼はあまり気が進まない。もともと出不精で、できれば村からは一歩も外に出たくないと考えている人だった。そんな彼も、所用があって隣の村まで行くことになった。隣の村程度ならいいだろうと踏んだのが、間違いのもとだった。バスを降りると、そこにはサトリがいた。

バスから降りてくるミスター・シアストリを見るなり、「デリーには行ったほうがいい」と言って、サトリはそのままどこかへ消えてしまった。

インドには摩訶不思議なことがたくさんある。
あの土地に行くと、「まあ、そんなこともありえるだろうな」と思わせてしまう雰囲気がある。輪廻転生という思想が根付いているからこそ、寛容になれるのかもしれない。悪いことをして成功しても、結局は自分にすべて帰ってきてしまう。そう思うと、まっとうに生きたほうが割がいいに決まっている。