Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

A Long Vacation

朝起きると、自分が一瞬どこにいるのか分からなくなった。
ドミトリーの二段ベットの上段に寝てたので、身体感覚が少しおかしくなっていたのかもしれない。目を開けると、数人の人たちが寝息を立てているのが見える。他人が寝ているところを見るのは、実生活では稀なことだ。とくに口も利いたこともない赤の他人の寝顔を見るのは、そうあることではない。寝ているとどの顔も似たような顔に見えてくる。起きているあいだは、顔つきや肌の荒れなど気にしている人も、寝ている姿はどこまでも無防備だ。同じ人間なのだから、見かけほど大きな違いなんてないのかもしれない。

時計を見ると、まだ7時前だ。しかし、完全に目が覚めてしまったので、ベットから起き上がり階下のダイニングルームへと降りていった。そこには無料で使えるパソコン二台と、大きなソファと小さなテーブルが置かれている。そしてダイニングルームを抜けると、テラスがあり、みんなが一緒に朝食が取れるように大きなテーブルと椅子が置かれている。

時間潰しのためにネットで英字新聞を読む。日本語のフォントがインストールされていないため、日本語のサイトが見れないのが残念だ。しばらくすると、オーナーのマルコが顔を出したので、駄目もとで日本語のフォントのインストールを頼んでみた。

「たしか去年泊まった日本人は一人か二人かな・・・・・」といってホステルの掲示板を見に行った。掲示板には2006年度の宿泊客の国籍を円グラフにしてある紙が貼ってあった。グラフを見ると、日本人は掲載されていなかった。ホステルはまだ営業開始をしてから、二年ほどだと聞いていたので、ホステル初の日本人なのかもしれない。

たいして時間もかからず日本語のフォントはオーナーのマルコの手によって、無事インストールされた。今後日本人が宿泊しても、日本語サイトを閲覧できるようになったが、果たして何人自分のあとに続くのだろう。

マルコは世界中を旅しているイスラエル人で、若いアルゼンチン人の彼女がいるらしい。彼は40歳を超えているが、すでに三回結婚しているとのことだ。さまよえるイスラエル人はどうやらかなりもてるらしい。

ネットのスピードは異常に遅かったが、なんとか自分のメールもチェックできて満足だった。そうこうするうちに朝食を食べに人が集まってきた。なんとはなしに自己紹介が始まり、それぞれ今までどこに行ったか、あるいはこれからの予定などについて話し合った。

だらだらと話しているうちに10時近くになったので、銀行に行ってお金を下ろす必要もあり、出かけることにした。

Brazil

銀行へ向かう途中、せっかくブラジル音楽のメッカであるサルバドールにいるのだから、CDの一枚でも買って帰ろうとCDショップに入った。たまたまかかっていた音楽を非常に気に入ったので、店にいたおばさんに誰が歌っているのか聞いてみた。マリーザ・モンチという女性シンガーのアルバムだった。そのまま迷わず購入した。

銀行に行って4万円ほど下ろし、しばらく歩いたあと、早めにランチを取ることにしてレストランに入った。そこは何キロでいくらというポルキロと呼ばれるレストランで、中国系の人が経営している店だった。ブラジルに来てから、よくこのような皿に載せた料理の重さによって料金が決まるビッフェ形式のポルキロにお世話になっている。(ちなみにポルキロはポルトガル語でキロ当たりという意味で、そのあとに料金が明示され明朗会計となっている)

ランチのあと、普段はせいぜい5000円ほどの現金しか持ち歩かないようにしていたので、4万円もの大金を持ち歩くのが不安になった。ホステルに一度帰ろうかと思ったが、お金はポケットに入れずリュックの奥底に入れたので、すられることもなかろうとそのまま街を徘徊した。

旧市街のぺロウリーニョはすでに何度も歩いて飽きたのでで、中心部から少し外れたところを歩いてみた。洋服屋が軒を連ねる大通り沿いを歩いていると若い男が近寄ってきて、「おまえ、そのカメラしまったほうがいいぞ。こんなところでそんなもの出していたら、すぐに盗られるから」ということを身振り手振りを交えて忠告してくれた。こんな大通りでも危険なのかと思ったが、彼の忠告には素直に従い、一眼レフはリュックにしまい込んだ。

その大通りからちょっと入ったところに、小さな集落があり洗濯物などが干してあった。そこを子供たちが駆けずり回っていたので、興味を覚えて覗いてみた。リュックにしまい込んだカメラをいちいち引っ張り出すのは面倒だったので、ポケットに入れていたコンパクトカメラを出して写真を撮った。

Brazil

ひと通り撮影し、満足したのでその集落をあとにした。するとちょうど入り口付近にさっきとは違う若い黒人の男が待ち構えており、なにやら話しかけてきて握手を求めてきた。お疲れ様という意味なのかなと勝手に解釈し、思わずその手を握ってしまった。それが致命的なミスだった。早くこの場を去ろうと、握られた手を引き離そうとしたが、手を離してくれない。

あっと思った瞬間に手をぐいと引っ張られて、引き倒されたしまった。そして次の瞬間にはどこから現れたのかもう一人の男が後ろに回り、羽交い絞めにされた。あまりのことに何が起こったか分からなかったが、気付いたときには相手に蹴りを入れようともがいていた。

ガイドブックには襲われたら、絶対に抵抗してはいけないと書いてあったはずだが、人間の本性は思わぬところに顔を出す。自分がこんなにも攻撃的な人間だとは思わなかった。

抵抗むなしく短パンのポケットに思いっきり手を突っ込まれ、ポケットが引き裂かれ財布代わりにしていた名刺入れがその勢いで地面に叩き落とされた。本当に黒人のパワーというものは怖ろしい。それでも諦めの悪い長身の日本人は、名刺入れを持った黒人二人組みに向かって脱げた靴を放り投げ、捨て身の抵抗をしたのだが・・・・・・・そんなものはかすりもせずに、靴はむなしく通りに転がった。

靴を履いたときには相手は通りの角まで到達していた。それでも一瞬そのまま追いかけたが立ち止まり、落ち着いて周りの人たちを見渡してみた。彼らは完全に成り行きを静観し、こちらを助けてくれる様子もない。かといって、奴らの仲間には見えなかったが深追いすると危険だと判断し、来た道を引き返して大通りまで戻った。

引き裂かれた短パンで歩くのもみっともないので、近くの洋服屋に入り短パンを購入した。そこで冷静になったよく考えて見ると、自分が非常に幸運だったことに気が付いた。

まずあの若い男が忠告したおかげで、一眼レフは無事だった。このときばかりは、人のことをよく聞く素直でいい子にすくすくと育ったことを心から感謝した。あのとき「ヘイ、アミーゴ!おれはロシアやカンボジア、それにインドを旅した筋金入りのバックパッカーだ。あんたの忠告はありがたく聞いておくが、心配には及ばないぜ!」などと間抜けなことを考えてカメラを仕舞わなかったらどうなっていたことだろう。間違いなくやつらの標的はカメラになり、今頃僕の愛機であるニコンは彼らの手に渡っていただろう。

またリコーのGR10というコンパクトカメラを引き裂かれた反対側のポケットに入れていたのだが、これも無事だった。すでに使用して10年近くなるので、外見がかなりボロかったのが幸いしたのだろう。彼らはこのカメラには興味を全く示さなかった。モロッコの写真はほとんどこのカメラで撮ったくらい気に入っているカメラだ。本当に盗られなくて良かった。

盗られた名刺入れにいくら入っていたのか計算してみた。今日ホステルから出たときは100レアル(約6500円)以上は入っていなかったはずで、CDが35レアル、ランチが12レアルぐらいだったので、どんなに多くても3500円ほどの現金しか入っていなかったことになる。

万が一、リュックを盗られたら4万円の現金はおろかクレジットカードやキャッシュカードも入っていたので、壊滅的なダメージを負うところだったが、これも全く無事だった。きっと好戦的な日本人に恐れをなして、彼らは名刺入れだけで満足したのだろう。被害は最小限に抑えられたが、襲われたという事実がとにかく悔しい。油断していたわけではないが、握手したのは愚の骨頂だった。

このままホステルに引き返すのも癪だったので、街を歩き回り写真をひたすら撮った。ブラジルでカメラを持っていたら、襲われる危険は増すのは理解しているが、かといって写真を撮らないとなんのためにブラジルに来たのか分からない。

Brazil

夕方まで写真を撮り、ホステルに帰った。
ホステルのテラスには数人がのんびり夕日を浴びながら寛いでおり、軽く会釈をして会話に加わった。夕日を浴びながら強盗に襲われた話をするのも申し訳ないので、そのことは黙っておくことにした。ギターを弾いていた今日着いたばかりだというカナダ人のタチアナという女性と話が弾み、一緒に食事に行くことになった。そのほかのみんなはまだ時間が早いので、あとで食事を取るとのことだった。

彼女はとにかく「サルバドール最高!この街に来て本当に良かった」と浮かれており、サルバドールに来るまではリオに二週間滞在したが、サルバドールで過ごした今日一日はリオで過ごした二週間以上にエキサイティングだと興奮してまくし立てた。サルバドールに到着してまだ数時間しか過ごしていないはずだが、彼女は完全にサルバドールの虜になってしまったようだ。

Brazil, サルバドール

初めて見るカラフルな街並みと、どこからともなく聞こえてくる音楽にすっかり魅了されたハイテンションなタチアナのおかげで、なんだかこっちも楽しくなってきた。生まれて初めて強盗にあったが、そんなことすらどうでもいいことのように思えてきたくらいだ。人間目の前に起こっていることに集中すると、過去なんてどうでもよくなるものらしい。

タチアナは、父親ノルウェー人の大学教授で小さい頃からマイアミ、ストックホルムオスロバンクーバーポートランドと引越しを繰り返した国際的なバックグランドを持っていた。彼女は海外に来るとよく人から「ホームシックにならない?」と尋ねられるが、どの国を対象にホームシックになればいいか分からないという。グローバリゼーションというものが進むと、彼女のような感覚が当たり前になるのかもしれない。国籍や人種が意味を為さない世界も悪くない。日本にいると、ついつい日本人という狭い枠組みのなかで物事を考えがちだ。タチアナのような人は最初からそういう何人だからという感覚がないので、もっと広い視野で物事を考えることができるのだろう。

違う国には違う価値観が存在する、世界の常識では当たり前のことが日本ではなかなか理解されない。今後、彼女のような鋭い国際感覚を持った人々を相手に、日本という国はどのようなビジネスを展開し、文化的刺激を世界に与えることができるのだろうか。いつまでも海外の人々を「ガイジン」と疎外し、違う価値観を持つ人間を「ヘンジン」と片付けていないで、日本の社会に組み込まないといつか手痛いしっぺ返しがくる。日本の常識ほど世界で非常識なものはない。それにタチアナみたいな人を見ていると、なにが常識でなにが非常識かという判断基準すらあいまいなものに思えてくる。結局のところ、彼女のように自分の好きなように生き、人生を楽しんでいる人が正しいのかもしれない。

彼女の職業は、主にドキュメンタリーを撮っているフィルムメーカーだ。今手がけているプロジェクトは蜂についてのドキュメンタリーで、現在世界中で蜂が行方不明になっており、その謎に迫るというものらしい。その問題の根幹には環境問題などが複雑に絡んでいるとのことだった。またそのプロジェクトのために今スポンサーを探しており、決まり次第1年くらいかけて撮影すると言った。それまでは自由の身なので、三月ぐらいまではブラジルに滞在するという、なんとも羨ましい話だ。サルバドールにはアパートを借りて、カーニバルを見たいと思っているが、一緒に借りてくれる相手を探しているらしい。僕も誘われたが、残念ながら2月まで滞在することはできないと告げた。

サルバドール名物のムケカを食べようということなり、良さそうなレストランを見つけて入った。料理が出てくるまでに今まで彼女が行ったことのあるブラジルの街について色々と聞いた。じつはタチアナにとってブラジル旅行は今回が二回目で、一回目は取材目的でアマゾンに二ヶ月ほど滞在したとのことだった。アマゾン奥地にはアヤワスカと呼ばれる秘薬を配合するシャーマンが存在しており、その秘密の配合について取材したとのことだった。(なんとも怪しげな話だが、ネットで調べて見るとあの船井幸雄さんも紹介しているので結構ポピュラーなものらしい)

いずれはアマゾンに行くつもりだったので、アマゾンへの入り口としてはどの街から入るのがいいか聞いた。(覚えられそうにない名前だったので、タチアナに発音してもらい、それをビデオで撮影した)

タチアナの話に興味は尽きないが、食事も終わったのでレストランを出ることにした。今日ホステルを出るときに、8時から教会前でコンサートがあることを聞いていたので、行ってみることにした。その道すがらにもいくつかのレストランではライブコンサートをやっていた。そして、その近くではドラムを鳴り響かせる楽団が太鼓を片手に踊るので、タチアナは興奮しっぱなしだった。

教会の前あたりまで行くと、人ごみでごった返しており、中へ入れるのかどうか不安になるくらいの人口密度の高さだった。それでもなんとか自分の体を押し込みながら、人ごみをかき分けて入り口付近に場所を確保した。今日は火曜日で、サルバドールでは火曜日は特別な日なのだ。なぜ火曜日が特別だか知らないが、僕の推測では単純に週末まで待てないので適当な口実をつけて、盛大なパーティーができるように火曜日を特別な日と設定したのではないだろうか。そんな穿った見方をしてしまうほど、サルバドールの人々はパーティー好きだ。

Brazil, サルバドール

ライブは大いに盛り上がり、今日あった嫌な出来事も消し飛んでしまった。音楽の力というものは素晴らしい。それに人々の熱気がすごい。この街には強盗に襲われたことすら圧倒してしまう熱狂があり、それが人々を虜にしてしまうのだろう。

こういう夜がいつまでも続けばいいのにと思った。
毎日がパーティーなんて最高だ。隣で踊っているタチアナはポルトガル語が話せるので地元の女の子と仲良くなり連絡先を交換し、すごく嬉しいそうだ。周りを見渡しても、みんなひどくハッピーな感じで踊っている。そういう人たちに囲まれると、こっちまで気分が高揚してくる。

二時間ほど踊り続け、くたくたになってしまったのでタチアナにそろそろ切り上げようと言った。パーティーはまだまだ続きそうだったが、朝から歩き回っていた僕の体力は限界だった。彼女はまだ踊りたそうだが水分補給のためにひとまず休憩することに同意してくれた。

レストランに腰を落ち着けると、お互いの旅の予定を話し合った。僕はすでに行きそびれたレンソンスまでのバスのチケットを手配しており、明日朝7時発のバスでレンソンスに行くと告げた。彼女はレンソンス近くの自然公園でトレッキングをするつもりなので、一緒に行きたいが、今日着いたばかりなのでもうしばらくサルバドールに滞在しないかと誘ってきた。それから一緒にレンソンスに行こうと言われたが、すでにチケットを予約しているし、どうせサルバドールには戻るつもりだったので、またサルバドールで会おうと言った。

また縁があったら再会するだろう。今日は散々な一日になるかと思ったが、とても思い出深い日になった。街が人を作るのか、人が街を作るのか?ただサルバドールという街について言えることは、この熱狂が人々を虜にし、また暴力的にしているということだ。サルバドールには中途半端は存在しえない。アクシデントが起こる際の針は極端に振れ、それがどちらかに振れるかは運による。

とにかく運が良かった。
今日について言えることは、それだけだ。