Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

癒しのレンソンス

まるで冷凍庫のようだ。
サルバトールのバス停から、レンソンス行きのバスに乗ったのだが、冷房が効きすぎて、半袖短パンではとてもではないが耐えられそうになかった。幸いなことに、バスのなかに衣類の入ったリュックも携帯しており、奥底に埋まった長袖のシャツを引っ張り出して寒さを凌いだ。

日本の電車やバスも夏は冷房が効きすぎているが、そんなものは比でなく、本当に凍え死ぬかと思ったくらい寒かった。サルバトールに関係するものは、すべてがやりすぎで効きすぎなのだろうか。

朝7時発のバスは、昼過ぎにはレンソンスに到着した。
あたりにはのどかな風景が広がっている。街の雰囲気もサルバトールのようにどこか殺伐としたものではなく、身の危険など微塵も感じさせないくらい穏やかなものだった。

Brazil, レンソンス

ここでしばらくのんびりするのも悪くないと思い、ホテルに腰を落ち着けると、カメラを片手に街を散歩した。この街ではカメラを持っていても、警戒することもされることもなく、また獲物を狙うような目つきをした獰猛そうな男もいない。子供たちが狭い路地を駆け回り、女性たちが洗濯物をゆっくりとした動作で干している。男たちといえば、相変わらず昼間からビールを飲み、タバコをふかして笑いに興じている。南米というよりは、南仏のようなのどかな牧歌的な風景だ。

ブラジルに来て初めて、身の危険を感じなかった。
それが日本では当たり前だが、ブラジルではとても新鮮に感じた。

人の気配におびえることなく、初めて撮影する自由を得た。歩き回るうちに夕方になってしまい、川に反射する夕日が美しかったので、川沿いに歩いていった。川の上流は平坦な岩場となっていて、そこは街の洗濯場となっているらしかった。女性たちが洗濯をしているそばで、子供たちが飛び込みをしたり、日向ごっこをしたりしている。サルバドールの熱狂のあとでは、こういう風景に心癒される。

Brazil, レンソンス

日が暮れたので、赤い壁が綺麗なイタリア料理屋に入った。最初はピザでも注文しようかと思ったが、気が変わってパスタとサラダを注文した。とにかく肉ばかりの毎日だったので、少しはヘルシーなものを注文しようと思ったのだった。

食事も済み、あたりを眺めながらビールを飲んでいると、40歳過ぎの金髪の男性が自分のテーブルに近寄ってきて、「座っていいか?」と聞いてきた。二人用のテーブルだったし、ほかにテーブルが空いていたので変だなと思ったが、悪い人間には見えなかったので「O.K.」と返事した。

しばらくして彼のほうから話しかけてきて、名前はカイといいハンブルク出身のドイツ人であることが判明した。なんとなく普通の観光客とは風情が違ったので、「なぜブラジルに来たの?」と聞くと「It’s a long story….(長い話になるよ)」とカイが答えた。そうなると詳しく聞かないわけにはいかず、彼が言う長い話を聞くことにした。

カイはブラジルに来るまでは、インドに半年ほど滞在しており、そこでブラジル人の女性と知り合ったとのことだ。そこで二人は恋に落ち、そのブラジル人女性がサンパウロに帰ったのを追って、彼もブラジルに来たのだという。

その女性も同じ年くらいで、サンパウロに帰るまでは20年以上もインドに住んでいたとのことだ。カイとその女性は、彼女の両親の家に一緒にしばらく暮らしていたが、カイはサンパウロとその環境に嫌気が差して逃げてきたのだという。

レンソンスに来るまでは、サルバドールに一週間ほど滞在していたとのことだった。彼は観光ビザではなく学生ビザで来たので、いつかはサンパウロに帰ってポルトガル語の勉強を再開しなくてはいけないが、それも億劫になったらしい。カイはとにかく計画を立てることが苦手だという。「きみはどうやって計画を立てているんだ?教えて欲しい」と真顔で言われた。

サンパウロに行くのは嫌だし、かといってサンパウロに滞在していないとビザの関係上不都合が生じるらしい。自分なら嫌でもサンパウロに二、三日滞在して、とっとと手続きを済ませて、よその街に滞在して自由を謳歌すると思うが、彼はどうやらそういう思考回路の人間ではないらしい。嫌なことはとことん最後までとっておく、そんなタイプの人間だった。

カイはドイツではフリーのコピーライターとして働いているので、時間はかなり自由になるし、もう働くのにも飽きたとのことだった。旅先でドイツ人とよく会うが、彼らは時々こんなことを言う。そして30代半ば過ぎても平気で職業を変えるから、困ったものだ。日本の終身雇用制の話など、彼らにとっては冗談みたいな話だろう。誰だって本当は10年も20年も同じ仕事をすれば飽きるかもしれないが、誰も彼らみたいに表立っては言わないし、行動には移さない。ドイツ人は意外と柔軟な考え方をする人が多い。1年間に5週間もの休暇が国民全員に与えられるから、海外に出て様々な考え方の人たちに触れて、頭が柔らかくなるのかもしれない。

Kai

二人とも料理を食べ終え、しばらくビール片手に話していたが、どこか違う店にでも行くかということになり、イタリア料理屋をあとにした。

レンソンスは中心にある二、三本の通りに店が密集しているので、店選びは簡単だ。街の中心にある広場に面した店に入り、ブラジル初日に飲んで痛い目にあったカイピリーニャを二人揃って注文した。

カイにカイピリーニャを飲みすぎた話を話すと、にっこりと微笑んで「Let’s get a little bit drank, tonight!(今夜は少し酔おう)」と言った。

なんだかその表現が面白かった。個人的に使ったことのない表現だなと思った。「今夜は酔おうぜ!」という言い方は時々するが、それに「少し」とつけ加えることはないなと思った。そんなところにカイの人柄が出ていると思った。

40歳を過ぎると、そういう表現ができる大人になるのだろうか。
一杯目のカイピリーニャを飲み干すと、約束どおり「少し」酔うためにもう一杯注文した。

カイはしばらくレンソンスに滞在予定だという。
彼のビザは4月まで有効なので、まだ十分時間がある。それに引き換え自分には残され時間は少ない。だが、こういう街に一週間ぐらい滞在してのんびりするのもいいかなと思った。

彼みたいな人は、街に最低でも一週間はいて、そのあと違う街に行くかどうか決めるのだろう。半年も自由に旅する時間があれば、それも可能だ。40歳ぐらいになったら、仕事に飽きたといって半分引退して、地球の裏側まで恋に落ちた女性を追いかけてくるのも悪くはない。

計画も重要だが、カイのような軽さと情熱も重要だ。でも、真顔で10歳以上も年を離れた初対面の人間に「計画ってどうやって立てるんだ?」と訊くのは、どうかとは思う。

カイとはe-mailアドレスを交換して、別れた。同じ街に滞在しているので、縁があればまた会うし、なければまた違う街で会うかもしれない。

旅の出会いとは、常にそういうものだ。