Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

あの瞬間

バイカル湖でベンと会った。
世界の中心に位置する、ロシアのバイカル湖は海のように広く広大だった。
ベンの夢は、バグパイプをその馬鹿でかいバイカル湖を見渡して吹くことだ。
日本人の僕はスコットランドに向かう旅の途中で、スコットランド人のベンは日本に向かう途中だった。 奇妙なめぐり合わせだ。

スコットランドに留学するのに、陸伝いで行こうと考えたのは、ただの思いつきだった。
その頃は、人と違ったことをするのが生きがいだった。それにユーラシア大陸シベリア鉄道で横断するのは、旅人の夢であり自分の目標のひとつだった。

ベンはイギリスのギャップイヤーを利用して、ロシアに1年間年留学していた。出会った頃は彼はまだ18歳で僕は19歳だった。自分より若いのに、彼は旅の先輩だった。20歳までに自分の行きたい国はみんな行ってやろうと思っていた僕が、彼から学んだことは大きい。自然体のベンは旅を楽しんでいるというよりは、人生におけるすべてを楽しんでいるみたいだった。そんな超然とした態度はとてもかっこよく見えた。僕は目先のハプニングでいっぱいいっぱいだった。なにしろ、その頃はまだ片言の英語でしかもロシアの片田舎にひとりぼっちという状況だ。冷静になれというにも無理がある。ベンは一人旅が大好きで、ヨーロッパはすでに回り、日本のあとはアメリカに行ってからスコットランドに帰るとのことだった。

二人の行程を合わせると、ちょうど世界を一周することになる。
僕たち二人は山を登り、ひたすら見渡しのいいところを探した。その道中にも彼は幾度も立ち止まり、昆虫やら蚊やらについて講釈してくれた。将来は生物学者になりたいとのことだった。ロシアにはピアノのために留学していたとことだったので、「ピアニストにはならないのか?」と聞いたら、職業としては考えていないとのことだった。完全に割り切って、芸術を楽しむ分別を彼はもう身に付けていた。

無事にバグパイプを吹き終わると彼はとても満足そうだった。
それに僕もいい写真が撮れたと確信していたので、ハッピーな気分だった。
ベンは自分の夢がかなった瞬間に証人となる人間がいたことを喜んだ。きっと長く一緒に過ごしていてもそういう瞬間というのは、めったに訪れない。わずか半日ともに過ごしただけで、いつまでも共有できる思い出ができるというのはいいものだ。

その後何回か彼の家に行って、家族とも会った。
そういう行き来を幾度か繰り返して、いつのまにか音信が途絶えた。でも、今でもあのとき撮った写真は忘れられない。