Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

わが愛しのくそったれサルバドール

サルバドール行きのバスは午後1時発だった。
それまで名残惜しむかのように、レンソンスで写真をたくさん撮った。どの街にも固有のバイブがあり、それがぴたりと合うととても気分良く、そこにいるだけで幸せな気分になる。今までそういう気分になったのは数えるほどだったが、この街もそのなかのひとつに数えられる。

Brazil

強盗に襲われたりしたが、ブラジルという国に対しては非常に好感を持った。親切な人が多く、それよりも何よりも人々がどこか楽天的で、こちらの気分もそれにつられて明るくなる。ラテン特有の明るさといってしまえばそれまでだが、西洋にも東洋にもない独特のその天性の明るさに、惹きつけられる。

一生のあいだにどれだけ旅に費やすことができるか分からないが、できればずっと旅を続けたいと思う。旅自体が目的になることはなかったが、それに付随するものが自分に決定的な影響を与えてくれた。いや、たぶんいつしか旅すること自体が目的に変わってしまったのかもしれない。とくに行ってみたい国や、見たい場所などなくなってしまった。ただ遠くへ、見知らぬ国へ行きたいと思った。それは突き詰めて考えれば、なにかを体験するという能動的なものから、自分自身になにかを体験させるという、どこか俯瞰的な視点で自分を見るようになった。見知れぬ国へ行けば、なにかを体験せざる得ないという達観だ。そんなどこか冷めた割り切った考えで地球の反対側にあるブラジルに来てしまったが、この国が持つ熱にすっかり感化されてしまい、いつしかこの国の虜になってしまった。

映画を見るような気持ちでブラジルに来たものの、いつしか自分自身がその映画に出演することになってしまったかのような不思議な気分だ。

Brazil

ブラジルでの移動はいつも手探りだ。ポルトガル語が話せないと、受け取れる情報量が圧倒的に少ないので、サルバドールに直行するバスと思っていたのが、途中どこか違う街に立ち寄ったりするとそれだけで不安になる。そこが果たしてサルバドールなのか、あるいは違う土地なのか分からないし、ちゃんとサルバドール行きのバスに乗っているのかどうかさえ怪しく思えてくる。

Brazil

結局、僕が乗ったバスは予定通りサルバドールに到着した。時刻はすでに午後8時を過ぎていたから、あたりはかなり暗い。タクシーで以前泊まっていたホステルまで行き、チェックインを済ませた。「ウェルカムバック、ユウキ!」と言われて、少し嬉しかったがタチアナやほかにここで知り合った人はすべてチェックアウトしていたので、寂しくもあった。

荷物をベットに置いて、今回はどんな出会いがあるだろうと期待を持ってダイニングルームに行ってみた。そこで早速知り合ったのが、ケリーというカリフォニア生まれのアメリカ人の女の子だ。正直、彼女と初めて話したときは、東欧の国の人かと思った。それくらい英語を話すスピードと発音に違和感を覚えたからだ。そんな彼女の職業が英語の教師だと聞いて二度驚いた。

ダイニングルームに居たほかの人々はドイツ人同士とブラジル人同士と固まっており、僕たち二人は「その他」というカテゴリーだったので、二人で晩御飯を食べに行くことにした。

サルバドールの街は相変わらず騒々しく、街中はすでにパーティーのような状態だった。レンソンスのような静かな街にしばらくいたのでそれを新鮮に感じると同時に、非常に懐かしくもあった。

レストランでは以前にも食べたムケカという魚料理を食べた。ケリーとの会話は今まで出会った人たちと違い、映画やごく一般的な話題に終始しがちでいまいち盛り上がらなかったが、むしろそれが普通なのかもしれない。今までが恵まれていただけだろう。

Brazil, Kelly

食べ終わってもまだ早い時間だったので、どこか違うところへ行こうということになった。たまたま通りかかったところにレゲエクラブがあり、ケリーがレゲエ好きだということなので入ってみることにした。
(クラブといっても室内のクラブではなく、屋外にありとても開放的なクラブに見えた)

レゲエという音楽にまったく興味がなかったが、どこかその平和的な音楽に油断してしまった。ビールをすでに何杯か飲んだのでトイレに行きたくなった。そのトイレはやけに奥まったところにあり「ここで襲われたら堪らないな」と思っていたら、あっという間に三人に囲まれてしまった。

彼らの目当てはカメラであることは明白で、一心不乱にそれを奪おうと襲い掛かってきた。三人に前後挟まれた状態ではこちらはなす術はなかった。そのときはやけに冷静に、「なるほど間合いというものはかくも重要なものか」と分析した。

用を足しにいったときに先客が二人いて、あとから考えると不自然だがその二人は洗面器のところでなにか話し合っていて、なかなか便器に向かわない。それで自分が先に行って用を足してトイレから出るともう一人やってきた。そいつはTシャツに指を入れてそれを銃に見立てて「うーうー」と唸って脅された。このときばかりは本気で腹が立った。「おまえ、それ指じゃん!」と心のなかで突っ込みを入れて、またしても必死の抵抗を試みたが、後ろにいた二人に羽交い絞めにされてしまってはどうしようもなかった。

ある程度の距離が取れれば、こちらも心の準備ができたがこのときは出会い頭にいきなり来られたので、どうしようもなかった。「全く不幸というやつはいつも突然襲い掛かってくる」なんて陳腐なハードボイルド小説のようなセリフが思い浮かんだ。
小説や漫画なんて本当に嘘ばかりだ。人が襲われるときは、ただカメラを持っているというそれこそ本当に陳腐な理由で襲われ、挙句の果てには頭を殴られトイレの汚水まみれになっている床に倒されてしまう。

何事も起承転結を重んじる自分にとっては、まさに予想外の展開だった。ただ襲われたあとは冷静になり、このクラブにいるやつは信用ならないと判断し、すぐ表にいた警官を呼びに行きクラブへ連れ帰った。髭を生やした純朴そうな警官は銃を構えながらトイレや屋上などを捜索したが、犯人はもちろん見つからなかった。

今回ばかりは悔しかった。今回の旅のために買ったカメラをカメラバックごと奪われ、被害額は相当になる。ただそれよりも何よりも、また襲われた事実が腹立だしい。

何が起こったがさっぱり理解していないケリーに事情を説明し、一緒に警察署に行って被害届けを出した。奪われたカメラなどの保険を申請するときに必要だったので、盗難証明書も申請した。

ブラジルの警察署はこういうことには慣れているのだろう。手続きは非常に迅速だった。盗難証明書を明日取りに来ればいいことになり、僕たちはホステルに帰った。散々な夜だったが、頭の中では冷静に起ったことを振り返った。さすがに今回はちょっと油断していた。レンソンスがあまりに平和過ぎたのでその感覚のままサルバドールに来てしまった。それに一緒にいたケリーに気を使ってばかりいて、周囲の状況をあまり把握していなかった。心の隅には二人なら襲われることもないだろうという甘い考えもあった。また一人ではけっしていかないであろうレゲエクラブに行ったことがそもそもの過ちの始まりだ。

やつらはけっしてチャンスは逃さない。
そのことを思い知った夜だった。

ホステルに帰って、ケリーに一杯ビールをおごった。自分が飲みたい気分でもあったし、もう落ちるところまで落ちていたのでこれ以上のことはあるまいと開き直った。たった五日間のあいだに二度も襲われるなんて、なんてポピュラーな人間なんだろう。ブラジルに来て以来、男からも女からも逆ナンされてきたが、さすがに強盗からはもうこりごりだ。

このときばかりは日本の平和な夜が懐かしく思えた夜だった。