Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

愛することと留まること。

ブエノスアイレスに住み始めて、すでに三ヶ月が経過した。

久しぶりな海外生活なので、とても楽しい。自分にとっては「外国人」という立場でいることは、とても心地が良いことなのかもしれない。アルゼンチン人に会うと必ず訊かれるのが「どうしてアルゼンチンに来たのか?」という質問だが、それには「どうして日本のような先進諸国から、アルゼンチンのような第三世界に来たのか?」という意味も暗に含まれている。

先進諸国とか第三世界というようなくくりはあまり意味を持たない。肝心なのは「その場所が自分にとって有意義な場所かどうか?」だと思う。ブエノスアイレスという土地は今のところ、自分自身にとってはとても有意義な場所として機能している。それがいつまで続くかは分からないが、きちんと機能する限りは、ずっと居続けようと思っている。

僕は旅に倦んでいる。あっちこっち行くのも飽きたので、どこか一箇所に滞在して、じっくりとその国を経験したい。それをスタートする場所としては、ブエノスアイレスはとてもいいところだ。「ブエノスアイレスに滞在したあとはどこへ行くのか?」とよく訊かれるが、そのあとのことなど何も考えていない。今、この場所にいることに満足しているのに、その次の場所なんてことは考えることは出来ない。

ほかの人たちから見たら、僕はただの旅人だ。この国、この土地にいる理由は何もない。いつでも旅立つことは出来る。けれども、せめてこの国に住んでいるときくらいは、浮気もせずに、一途にこの国を愛したい。それが僕にとっての、「住む」ことと「旅をする」ことへの明確な差だ。

何も具体的に留めるものがないからこそ、この土地に留まるためには愛することが必要だ。それは人間関係にもそのまま当てはめることが出来る。誰だって自由に人と一緒に過ごすことは出来るが、留まるためには愛することが必要だ。

僕はそのようにして、同じ土地に留まり、また同じ女性に留まるのだろう。