Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ちょっとした占い

今日は渋谷の占い師さんに三年ぶりに占ってもらった。
特になにかあったわけではなかったが、なんとなく彼と話をしたくていつもの場所で、いつものように佇んでいる彼の前へと腰掛けた。

とても気持ちのいい人なので、彼のことを多くの人に紹介したこともあり、まだ覚えてくれていた。占ってもらうのは三年ぶりぐらいだが、時々通りかかると挨拶はしていた。

渋谷の雑踏のなかで、いつもの半分の高さから人々を見ていると、自分が異世界にいるような錯覚に陥る。通りすがりの人々は、そんなところへ腰掛けている僕のことを、まるで可哀想な人のように見ているが、実際はそんなこともない。

取り急ぎ困ったことがなくても、人は占ってもらうこともある。

ほとんど三年前と同じようなことを言われ、三年前と同じように少し勇気づけられた。
相談するようなこともないので、言われることは同じだ。
その占い師さんには、そもそも僕のような人が占い師のところへ来る方が珍しいと言われた。
いわく好き勝手やって自分で自分の人生を突き進む人間で、人に相談するタイプではないらしい。

三年前と少し違うことを言われたとすれば、「大御所になる器がある」と言われたことくらいだろうか。

大御所というのが、なにを意味するのかよくは分からないが、その道を極めたいとは思う。
一番自分のなかで共鳴できたのは、瞬発力もあるが忍耐力もあると言われたことだろうか。
今まで人生のなかで人から忍耐力があるとは言われたことはなかったが、最近自分でも忍耐力が付いた気がする。

待つということが苦痛ではなくなった。
決定を下すのに、時にはなにもせずに待つことも必要なのだ。
以前はとにかく行動あるのみだったが、今はもう少し引いて物事を見ている気がする。
それを忍耐力というのかどうかは分からないが、今の状態のままでもそこから変化はいずれ生まれると達観している自分がいる。

人生は流れゆくものだ。
その流れをせき止めることもできないし、大きな流れのなかでは自分は無力でもある。
ただ、情勢を見極めて自分でできるベストの選択をするまでだ。

人はよく継続した努力で状況が変わると勘違いしているが、それは大きな間違いだ。
違いを生み出せるのは、そのベストと思われる選択をする決断力を持っているか否かだ。
努力することは誰でもできるが、その努力したことを無とする決断を下せる人間が、上へと行く。

渋谷の占い師さんには、とくに目新しことを言われたわけではなかったが、もう一度自分を再確認できた気がする。自分がこれだと思っていることが結局のところ正しかったわけだ。
自分が生きる理由なんて人に説明できないけど、言葉で人に説明できるほど、安っぽい理由なんてなんの意味も為さないことも確かだ。