Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

パレスチナを遠くに想う。

パレスチナは遠い。
中東は僕がこの世界で、旅するのを唯一避けている地域でもある。
宗教的な事柄について無縁に生きてきた人間にとっては、かの地は旅するにはあまりに重い土地である。

20歳の頃に、イスラエル人のエイタンという二歳年上の男に出会った。より社交的なエイタンは何かと僕に気を使ってくれてすぐに仲良くなった。一緒に過ごした時間は二、三日と短かったが、それが初めてのイスラエル世界、あるいは中東に位置する国に住む人々の出会いだった。

そして、それはとても幸福なものだった。
僕は数多くの人々と旅を通じて出会ってきたが、エイタンほど気のいい人間はあまり出会ったことがない。今でも彼の満面の笑顔がすぐに思い浮かぶ。インド北部のクルとマナリの中間に位置するナガール城で、彼と出会ったときのことは昨日のことのようによく覚えている。

「だから日本人はすごくシャイなんだ。それですごく損をしている」と彼は僕と少し会話を交わしてから、そういった。なぜ、彼が「だから・・・」と前置きを置いて「日本人がシャイ」だと言ったのは定かではないが、エイタンのほうから僕に話しかけ、それで意気投合して仲良くなったのを覚えている。

彼は父親が弁護士で、イスラエルに帰ったら跡を継ぐつもりだと言っていたが、きっと今では父親を凌ぐ弁護士になっていることだろう。

彼は別れのとき自分の住所と電話番号を手渡し「必ずイスラエルに来いよ。来年来いよ。そしたら一緒に旅しよう」と言ってくれた。そして、それ以来僕は彼に会っていない。

今日、クーリエジャポンという雑誌に掲載されていたパレスチナ人の女性の記事を読み、急に彼との一連の出来事がまざまざと思い出された。

イーリーンという20歳になる女性は、テルアビブで自爆テロを計画していた。彼女はイスラエル年金生活者が集う公園で自爆テロを行う予定だったのだ。しかし、その当日彼女はその現場で向かう途中に小さい赤ん坊と乗せたイスラエル人の女性とすれ違った。そして、そのそれ違う瞬間その赤ん坊はイーリーンに微笑みかけた。

それで彼女は自爆テロを思いとどまった。
その微笑みにすっかり心が打ち砕かれたのだ。

この事件は実行犯が最後の瞬間に唯一心変わりした事件だという。

イーリーンを自爆テロの実行犯になるまで追い詰めたのは、ほかならないイスラエル人だ。彼女は「これ以上の屈辱を味わい続けるならば、いっそのこと死んだ方まし」とまで思ったらしい。

イーリーンはこう語っている。
「あらゆることが禁じられていました。町に出かけたり、隣人を訪ねたりすることでさえも。誰が善人で、誰が悪人かは、すべてイスラエル兵が決めることだったのです」と。

日本に入ってくる情報は、イスラエル自爆テロが多発し、とにかく物騒な国だという一方的な情報だ。彼らが自爆テロを行うのは、なにも敵を殺すことが目的ではない。彼らのメッセージは「私たちはこのままの状態で生かされ続けるのであれば、いっそのこと死んでしまったほうがましです。どうかイスラエルに起こっている非道な行為を知ってください」という悲痛なメッセージだろう。

自爆テロを正当化することなどできないが、彼らの事情も少しは理解できた気がする。

そして、僕はエイタンのことを思った。
彼のような良心的な人々はどのようなことを行っているのだろうか。
たとえ、彼がどのような行動を行っても、このひどい現実を変えようがないのだろうかと。あるいは、エイタンのような人でさえ、国に帰ればパレスチナ人のことなど歯牙にもかけないのだろうか。

無知は多くの人を殺す。
極東に位置するこの国では、すべてのことがカルピスのように薄い現実感しか伴わない。

エイタンとイーリーンの狭間で僕の心は痛む。