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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

豊かさについて

最近、「豊かさ」について考えている。
フィリピンから先週戻ったばかりだから、そんなことを考えてしまうのかもしれない。仕事でフィリピンに行ったので、結局はマニラにしか滞在できなかったが、そこに住む人々の持つある種の熱にやられた。

なにも「フィリピンには日本が失った精神的な豊かさが残っており、云々」といったようなことを語るつもりはない。日本は物質的な豊かさはもちろん、文化的土壌の豊かさもフィリピンとは比べようもないほど豊かであると思う。

今度、「ノルウェイの森」を監督するベトナム人監督トラン・アン・ユンがとある雑誌のインタビューで、日本には映画的な土壌(黒澤明小津安二郎から北野武まで連なる)があるが、ベトナムにはそれが全くないということが嘆いていた。フィリピン文化にもベトナムと似たようなことが言えるのかもしれない。

乱暴な言い方かもしれないが、「生活するのに精一杯で、それどころではない」という切迫感だ。

でも、僕はアジアの都市が持つ熱さが大好きだ。
バンコクハノイ、マニラそれにムンバイが発する熱にすっかりやられてしまう。それは物質的な豊かさへ向かう人々の飽くなき欲望のエネルギーでもあるし、そこへ向かうことへのためらいのなさから発せられる熱なのだろう。

それでも日本の高度成長期と比べて好感を持てるのは、彼らが南国気質特有のある種の惰性を発揮しているからだと思う。「南国だけに食うに困らないし、別に今の生活のままでもいいじゃない」といったようなことが頭をもたげ、彼らを「お金」という一神教から隔離させている。あわよくば儲けたいが、そうじゃなくてもまあいいか、という緩やかな拝金主義が彼らのなかにはある。

そこで「豊かさ」について再び考える。

日本はとにもかくにも努力することを奨励する国だ。
そして、その努力が否定されると死んでしまう。なにも比喩的な意味ではなく、実際に世界第8位という高い自殺率の高さを見ても、けっこう本気で死んでしまう。(ちなみにフィリピンは日本の10分の1以下の自殺率で85位に名を連ねている)

豊かさとは、一体なんなのだろう?
全世界で8番目に高い自殺率を誇る国はあらゆる意味で豊かとは言えないだろう。経済的な豊かさはある程度手に入れたが、あまりにそれを性急に手に入れようとするばかりに1つの価値観、1つの考え方だけをよしとする至極効率的な生き方が日本では常識とされている。

ライフスタイルや生き方に効率を求めてしまうと、どこかでひずみが起きる。一番効率のいい生き方は、自分の意志で死ぬ時期を決めることなのだから、自殺率が高いのも納得だ。

そんな「効率」を重視した生き方を全国民に奨励した結果、よその国に行けばこの国の常識こそが非常識であり、ひどく特殊であることすら気がつかない人々が大量に輩出されている。

これから日本という国が「豊かさ」を手に入れるためには、違う価値観を持つ人々をもっと積極的に受け入れ、個性にあった生き方を尊重する社会にしていくしくないと思う。

そのためのキーワードは、「教育」であり異文化コミュケーションを可能とさせる「英語」なのだろう。日本の社会全体を変えるのはかなりの時間を要するが、個人レベルで違う価値観を持つ人間と接せる機会を持つには、英語は非常にいい武器になる。もちろん、それでも自国の価値観ばかり押しつけ、外国相手に自国の論理を持ち込む輩(こういう人間はアメリカ人にも多いが)もいるだろうが、少なくても小さな島国の価値観をあたかもグローバルスタンダードだと言い切れる人々を輩出する可能性は今よりももっと低くなるだろう。

なぜ、急にここで「英語」や「教育」などと言っているのかというと、それは今回フィリピンに行った目的と大きく関わってくる。

続きは次回!