Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ソーシャルビジネスにいたるまで:ワンズワードオンラインにいたるまで

子供の頃から違和感を感じていた。
それが思春期の頃になると、どうにも耐え難いものとなり、そとへと飛び出した。

高校三年生の頃にヨーロッパを旅し、絶対にここに住んでやると心に誓った。翌年、留学すると決めた国スコットランドまで陸地伝いで行くという馬鹿げた計画を立てて、それを実行に移した。

神戸から天津まで行き、そして北京からシベリア鉄道に乗ってロシアを横断し、プラハ、イタリア、フランスを周遊した。飛行機で行けば14時間で行く道のりにわざわざ2ヶ月間かけた。19歳の夏だった。

旅をしながらでも仕事が出来るという理由で写真家になる道を選んだ。
エディンバラ、ニューヨーク、ロンドンと点々とし、24歳を過ぎた頃に帰国した。

それからファッション写真家のアシスタントを経験し、写真家としてキャリアをスタートとさせた。海外取材などもこなしたが、どこか満たされなかった。こんな写真が撮りたくて写真家になったのではないという思いが、ずっとあった。

ひょんなことがきっかけで知り合ったアメリカ人に誘われて、米国ベンチャー企業の日本法人立ち上げを手伝った。知らないことだらけだったが、そのアメリカ人と毎日飲んでは、色々と語り合うのは楽しかった。だが、そんな楽しい時間は長く続かず、彼はクビになってアメリカへと帰って行った。

その事業をそのままオフィスを間借りさせてくれていた元TOEIC社長が引き継ぎことになった。彼のもとで「英語教育」というものとビジネスのやり方について学び、また多くの英語教育の学会に足を運び、有名大学の教授たちとも知り合いになることが出来た。

写真も自分が撮りたい写真で個展を何度か開催し、それと平行して商業写真の仕事も引き受けた。以前よりも写真を撮るのが楽しくなった。何かから開放されたからかもしれない。

英語教育のビジネスに関しては、最初は楽しかったが段々と辛いものになっていった。窮屈に感じて、自分の会社を立ち上げた。

学会などで語られる英語と、現実に必要とされる英語には大きな開きがあると思った。色々な学術書を読みあさり、自分なりに会得した語学習得の公式を試したくなった。

そんなときにオンライン英会話で英語を習っていたフィリピン人のジョイさんから、勤めている会社のことを聞いた。あまりに不当な仕打ちを受けていた。だったら、自分でやると言って彼女たちの受け皿となるオンライン英会話スクールを立ち上げることにした。35歳の夏だった。

エディンバラでたまたま知り合い、週三回プライベートレッスンを受けさせてくれたイギリス人のサイモン。毎晩のようにオアシス、ブラー、スミス、ストーンローゼスなどのUKバンドについて語り、ウッディー・アレンエリック・ロメールの映画について感情を共有した。

ロンドンでは一緒にフラットをシェアしたコロンビア人のマリア、イタリア人のセバスチャンのカップルと毎晩のように出歩き、これからのことについて語った。あの頃は文字通り無一文に近く、明日どうなるか分からない身だった。異国の貧乏は身に沁みた。

パリの寒空のなか時間を間違えて40分を待たせてしまったアーネストは「叔父さんが癌になった」と告白し次に「オランダ人の子と恋に落ちたよ。今すぐにでもアムステルダムに帰りたい」と言って、赤ワインのボトルを一緒に何本か空けた。

自傷を繰り返し、キズだらけの体と見せて、自身の妊娠と堕胎をタバコを吹かしながら語ったアルバニア人のイルダ。ブラジルで二回も強盗に襲われたことを話したら、「一回ならまだしも二回も襲われるなんて、ホントに間抜けね」と大笑いしたアルゼンチン人の女の子アウガスティーナ。

そして、今は毎日のようにコンタクトを取り、ビジネスのことをひとしきり話した後は、必ずお互いくだらない冗談を言い合いながらずっと夜遅くまで話すフィリピン人のジョイさん。

僕にとって英語は目的ではなく、コミュケーションを取る手段にしか過ぎない。
自分とはまるで価値観が違う異国の人と語り合いながら人生を過ごすのも、ほんと悪くない。僕が自分の人生において一番楽しく感じる瞬間は、そういうふとした瞬間だ。

きっと英語を話せることなんて、どうでもいいことなのだ。
彼ら、世界中の人たちと話せる言語がたまたま英語だっただけだ。
そして、自分自身に彼らと対等に渡り合えるだけの何かが内包していなければ、その出会いも一過性のものとなってしまう。

「才能は静けさの中で作られ、性格は世の激流の中で作られる」とゲーテは書いた。どの時代でも性格のない人間よりは、多少難があっても突っ込みどころ満載の人間が生き残っていく。そして、世界はそういう人間ですでに溢れ返っている。

金太郎飴のような人間を大量生産するような日本の教育はとっくに時代遅れになっている。そのことに気がついていないのは、今多くの企業に重職についている世代だけだろう。

これからは個人が世の中を席巻し、個人が世界を変えていく。
社会の犠牲となっていた個人がようやくその力を取り戻す時代になったのだ。
そのためにシンプルに自分が何ができるか考えていきたい。英語教育というのはひとつだが、それだけではなくもっと違うこともできるかもしれない。

「社会的な問題の解決」というソーシャルビジネスの理念の枠組みのなかで、何ができるか考えていきたい。