Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

書くということ

ここのところ、毎日ブログをアップしている。このブログではなく、新たに立ち上げたブログのほうをだ。元々、ワンズワードオンラインというオンライン英会話スクールを運営するにあたり、ブログのひとつでもあったほうがいいだろうという理由で始めた。もちろん、そこには集客ツールのひとつとしてブログを使えばいいという邪な心があったことは事実だ。(そのわりには当初は飲み会の話や映画の話に終始しており、全く役に立っていないことは確かだが)

それがだんだんと書くという行為自体が楽しくなってきて、今は純粋に今まで行った膨大なインプットをアウトプットする機会と捉えている。

書くことを通じて、物事は然るべき場所へと導かれ、頭の中はよりクリアになる。とくにあらかじめ何を書こうなどと決めていることはほとんどなく、愛用のMacBookPROに向かって「うんうん」唸りながらなんとか毎日記事を捻り出している。

そういうことが好きなんだと思う。何もうんうん唸ることではなく、まっさらな何もない平地から何事かを生み出す行為が。写真もそういう側面はあるが、書くという行為のほうがより自由度が高い。それに自分にとっては「オンライン英会話スクール」を運営するという行為も、ビジネス云々ではなく、とてもクリエイティブな作業だ。

いかに人々に満足感を与えつつ、効率良く英語学習をしてもらうかと考える作業はけっこう楽しい。そして、先生たちにどうやったら楽しく働いてもらえるかという仕掛けを考えることも好きだ。それに何よりも優秀な人々と一緒に働くことは、ストレスフリーな世界であり、その空間は何ものにも代え難い。

ここ2、3年あまりどうしようもなく嫌な人々のどうでもいい些事に悩まされてきたので、今はまるで天国にいるような気分だ。

今の状態がずっと続くこともなく、また続けたいとも思ってもいない。ちょっとした小休止であることは自覚している。ただ今の形で自分の人生を発展させていきたいと強く願っている。自分が心底どうでもいいと思っていることに、もうあれこれ頭を悩ますことは避けられるのならば避けたい。

人が生産的でクリエイティブでいられる時期は意外と短い。それを長引かせることには訓練を要する。その訓練の一環として、書くという行為はとても有用だ。自分の体内に溜まった毒やら思考やらポリシーなどをこっそり忍ばせて、粛々とこれからも書いていきたいと思っている。

今までばらばらだったものが最近ようやく一つのものへとまとまってきた気がする。それをより強固なものにするためにも、このような地道な作業は重要だ。変化というものは劇的に現れるものではなく、ほんの少しずつごくごく控えめな形で現れる。その経過を客観的にし、自分自身への自覚を深め、より精度の高いものを生み出していければと心より願っている。