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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

今月の先生採用について

今月は結局新規に先生を採用したのは1名にとどまった。
フィリピンにいるJOYさんたちに「先生採用強化月間」と位置づけはっぱをかけて探してもらったが、採用に値する先生は1名のみだった。

正直、がっかりしている。

JOYさんたちの一次面接をクリアすれば、ある程度の英語力はあるので、僕が担当する最終面接は人間性や「教えることへの情熱」それにプロフェッショナルとしての態度をおもに見るのだが、見るべきところがない人が多い。

目立つのは英語が多少できることを鼻にかけて、やたらと態度がでかい人だ。

「それってほんとどうでもいい!」と思ってしまう。
歴史の先生は歴史に詳しく、地理の先生は地理に詳しく、国語の先生が漢字に詳しいのと同じように、英語の先生は英語が出来て当たり前なのだ。

それ以上のことを求めて当然だと思うが、彼らはどうやら英語が多少できれば英語を教えることができるとたかをくくっており、面接でなめた態度を取ろうとする。そういう人に対しては、僕は厳しい態度を取るので、「小便ちびりそうになった」と面接のあとにJOYさんに告白する人もいる。

そのような厳しい面接をくぐり抜けて、じつは本当はもう一人、仮採用した先生がいるのだが、JOYさんと相談した結果、最終的には不採用にした。彼女の英語力は飛び抜けており、フィリピン大学の語学講師として外国人に英語を教えているだけはあると思わせるほど、素晴らしい英語だった。

僕もJOYさんも雇いたくてしょうがなかったが、人間的にどうかと議論し、泣く泣く不採用にした。その人にとって先生という職業は「腰掛け」で、自分にはもっとふさわしい仕事があると思っており、そういう仕事が見つかれば辞めることは容易に想像できたからだ。

本当にそういう職業があるのか甚だ疑問だが、それ以前にJOYさんたちのように「教える」ということを天職であり適職であると思っている人にとってみれば、非常に失礼にあたる態度だと思う。

同じ人間なのだから、一流と超一流の差は微々たるものだ。もしかしたら、多くの人が気付かないくらいの差しかないかもしれない。とくに「英語の先生」というカテゴリにおいて、その差を見極めるのは難しい。

でも、僕たちはそこにこだわりたい。
僕たちが納得して採用した先生が、生徒様から受け入れられないのならば、仕方がないと思えるが、納得していない先生を採用して、クレームなんて来たら目も当てられない。

僕たちは求めているのは「教えることに情熱を燃やし、知的好奇心が旺盛で、素直な人」という方々だが、この最後の「素直な人」というところが意外と難しい。

ある一定のレベル以上になると、頭が固くなり、無用な自信ばかり付けて、がっかりな人間になることが多いからだ。

僕たちが求めているのは「フィリピン人のなかで英語が出来て、教えることがうまい人」ではなく、「(国籍問わず)英語という言語をよく理解し、さらに教えるということに情熱を燃やして、新しい知識やメソッドを吸収するのに貪欲な人」なのだ。ほかのフィリピン人と比べて、英語を多少出来る程度で下手な自信を持たれても百害あって一利なしだ。

来月あたり、良い人見つかればいいなー(遠い目)

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