Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

「英語を話すこと」とコミュニケーションを成立させることの違い

英語学習者に時々見られるが「英語を話すこと」が第一義となっていて、コミュニケーションを成立させようということをおろそかにしていることがある。極論すれば、英語を話すこと自体どうでもいいのだ。ようは英語を話すことなくコミュニケーションさえ取れてさえいれば、それに越したことはない。(ドラえもんの翻訳コンニャク、あるいは高度に発達した音声認識エンジン、はてはテレパシーかそんなものでコミュニケーションさえ取れれば、英語を話す必要もない)

だが、そんなことは今は不可能なので、世界中の人たちとコミュニケーションを取りたいと思ったら、まずは毎日英語をしこしこと勉強するしかない。

オンライン英会話によるマンツーマンレッスンや英会話スクールでのグループレッスンでも自分たちがお金を払っている相手に対して、「英語を話すこと」を第一義に置くことはある程度仕方がない。英語学習初期にはただ話すことで上達できるスキルもある。しかし、「英語を話すこと」の本当の意義を見失っていては本末転倒だ。

海外、あるいは日本にいて外国人と話すとき誰もあなたに「TOEICのスコアは?」や「出身大学はどこ?」など聞きやしない。あなたが一体何者であるか、英語を使ってうまく表現する必要が生じる。英語を英語が話したいがために話すのではなく、相手に自分という人間を分かってもらうために話す必要があるのだ。

会社、大学、持っている資格など取り払ったときにあなたには何が一体残るだろうか?日本人同士だと所属している組織などをコミュニケーションを成立させる土台にすることができるが、外国人にはそんな前提は通用しない。だが、何か情熱を持って取り組んでいることがあれば、それを使ってコミュニケーションを成立させることができる。

英語さえ話せればコミュニケーションを成立させることができると勘違いしている人がいるが、実際はその逆なのだ。コミュニケーションさえ成立させることが出来れば、英語など話す必要がない。

多国籍の人間が集まる語学学校などにいると面白いことが起こる。クラスで人気者になるのは必ずしも英語が上手い人間ではなく、拙い英語でも愛嬌がありコミュニケーションを取ることが上手な人間だ。例えば「H」の発音をことごとく飛ばすフランス人の女の子などが人気者になり、みんなから好かれる。

相手とコミュニケーションを成立させることさえできれば、日本人訛りだろうが「R」と「L」の発音の区別がつかなかろうが、それはそれでありだと思う。自分自身のことを面白おかしく話すことが出来れば、発音なんてちっぽけなことはたいてい大目に見てくれる。世界は寛容なのだ。

ちっぽけな島国の価値観なんて、世界では通用しない。「世界平和のために英語を話そう!」なんてことまでは思わないが、自分が持っている価値観なんて所詮小さなものだと自覚するために、他国の人達とコミュニケーションを取ることはとても重要だ。

すべての争いごとは「自分は間違っていない」という無自覚から起こされるのだから。

にほんブログ村 英語ブログ 英語学習情報へにほんブログ村 英語ブログへ