Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

本当の戦争の話をしよう

スコットランドに留学しているとき、50歳くらいの男性がクラスに一人いた。セルビアからの避難民だった。バスで学校に向かうときに彼が車から手を振って僕を呼び止めて、車に乗れと合図を送り一緒に載せてもらったことが何度もある。お互い英語がまだよく話せなかったので会話もままならなかったが、「どうしてこの人はこんなに親切なんだろう」と不思議に思ったことを今でも鮮明に覚えている。お互い特に交流もなく赤の他人も同然だったが、彼はなぜかとても優しかった。

クラスでアジア人は一人だったし、どこか孤立した立場だったのを思いやってくれたからだろうか?

チェコプラハに一週間滞在したとき、とあるアンティーク屋さんに毎日通った。その店主の名前は確かミーシャと言った。彼もセルビアからの避難民だった。行く度においしいコーヒーを淹れてくれて、他愛もない話をした。僕は特に何か買うわけではなく、ただミーシャが持つやさしい雰囲気に惹かれて、その店に通った。ほかのお客さんが来ると、悪いので帰ろうとするいつも「慌てて帰る必要はないから、ちょっと待ってて」と言って僕を引き止めた。

戦争の体験談を語るわ その1
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1351.html
戦争の体験談を語るわ その2
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1352.html
戦争の体験談を語るわ 完結
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1353.html

この戦争体験談を読んで、その点と点が繋がり、なんとも言えない感情が沸き起こった。

人の痛みを知っている人ほど、人に優しくできるのかもしれないが、そんなことを学ぶためにこれほどまでの経験をする必要があるとは思えない。

Prague2010

(数年後、友人がプラハに行くので彼の店を紹介して、メーセージを託したが店は潰れてなくなっていた。ミーシャは元気にしているだろうか)

彼が戦争という言葉を口に出していうとき、苦虫を噛み潰したような顔をしていたことを思い出す。彼にとって戦争はあくまで経験に基づいたものであり、多くの人たちのように「抽象的な何か」ではなかった。彼の国のことを知るにつれ、そのことを思い知った。

今、生死も判然としないスレ主にはこの言葉を贈りたい。

「 Every child comes with the message that God is not yet discouraged of man.(生まれてくるすべての赤ん坊は、神はまだ人類に絶望してはいないという神からのメーセージである)

タゴール

(戦場のシーンが一度も映し出されることなく、戦争のどうしようもないほどの残酷さが描き出される。一遍の詩のように心に突き刺さる名作)