Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

昔からわがままな人間だった・・・・社会的に有用な人間とは。

正直に告白すると、生まれてこの方人の役に立ちたいなどという殊勝なことを思ったことはない。そして、そんなこと今後たとえ思っても、公の場でそのような恥ずかしいことを言うことは曲がり間違ってもないと思う。

人の役に立つということは、まず前提条件として「自分がなんらかの形で人の役に立つスキルを持ち合わせおり、恐れ多くも自分以外の他人のために貢献できる」という大それたことを思い抱いているわけである。

たいていの場合、自分自身の人生すらままならない。自分の能力に自覚的であり、それを使って自分自身の人生に役立てて、楽しく生きていくことすらかなりの労力を要する。さらにその上「人様の役に立つ」なんてことには考えも及ばなかった。

もちろん、ソーシャルビジネスを企業理念とする会社を立ち上げ、雇用している先生たちに「最高の労働環境」を提供したり、フィリピンの経済的に恵まれない学生たちを支援してはいる。でもそれはあくまで利己的な思いが発端となっている。自分自身が全責任を負っている会社において、そこで働く人も楽しく働いてもらわないと気分が悪いし、その人たちを雇用している国で本人の責任でもないのにチャンスを与えられない人たちがいるのも、どうにも気分が悪い。

それに同じ志の人が何十人か集まり、月ほんの数百円の負担で半年くらい経てば高校生1人を1年間サポート出来るようになるのは、なんとも気分がいい話ではないか。
(詳しい仕組みはこちらから)

社会のためや誰かのために自分自身を犠牲にする気持ちなんてさらさらないし、それを人に強いることなんて絶対にしたくない。フィリピンという国全体の経済の発展のために捨石となって尽くす気持ちなんて、これっぽちもない。よその国より自分が住んでいる国のほうを取りあえずは大事にしたい。

自分自身が楽しいと思うことを突き詰めて考えた結果、それがたまたまソーシャルビジネスという形に集約されただけである。いくつかの素晴らしい出会いと多くの幸運に恵まれ、今のところ結果も伴っているが、おそらくまだまだ自分たちのポテンシャルを最大限発揮しているとは言い難いと自覚している。

不特定多数の赤の他人のことよりも、自分が立ち上げた事業を通して関わりあった人たちを大事にしたいと思っている。

ああ、なるほど! 漠然と「人の役に立ちたい、社会貢献をしたい」などと臆面も無く言っている人たちに対してイラつきを覚えるのは、その対象が明確になっていないからだ。人の役に立ちたいなどど言っている暇があれば、自分の役に立てと思うし、自分の役に立てるようになれば、今度は周りの人間にとって有用な人間になるように努めればいい。

社会なんて、放っておいても回る。社会全体にとって有用な人間になるには、それこそ並大抵の努力では無理だろう。それを自覚していれば、恐れ多くてアホ面さげて「人様の役に立ちたい」などとけっして言わないはずである。