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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

映画「告白」について

中学時代は人生で一番醜悪な時期だろう。肉体的な成長に精神的な成長が追いつかず、そして容姿も脱皮しかかった虫のように中途半端。個性も確立されておらず、自分の考えと他人の考えの区別がつかない時期でもある。

そんな特徴がよく表現されている映画だなと思う。

オスカー・ワイルドは「自覚されたことはすべて正しい」と言った。何もかもが本当は未経験な中学生は、物事を「知る」ことは出来ても、自覚することなんて出来ない。前提となる彼らの世界は異質なものであり、その世界観は自分たちの感情によって歪曲され、彼らのルールはたいての場合極端であり、ひどく残酷でもある。

集団心理に支配されて、逃げるということすらままならない学校という場所は、人間を追い詰めやすい。そして、追い詰めている側はなんの罪の意識もないので、なおさらタチが悪い。

この映画で最も残酷だと思うのは、主人公の少年の唯一の理解者のあのような最期だ。彼女もまた自覚が足りなかったと言えばそれまでだが、彼に対する認識は一番正しかった。そして、それを知った復讐者(松たか子)は哄笑する。その笑いの本当の意味を知るのは物語の最期になるのだが、それとラストシーンの捨て台詞を合わせると、彼女がいかに徹底したリアリズムを元に完璧に復讐を遂行したかが理解できる。

復讐をテーマにした傑作映画はいくつかあるが、そのなかでも個人的に最高傑作だと思うのは「オールドボーイ」という韓国映画だ。映画「告白」はそれに比べると、演出的に重くならないように工夫され、比較的容易に咀嚼できる。
オールドボーイを観たあとは、腰が抜けて動けなかった・・・・それほどすごい映画と思う)

すべての物語は語りつくされ、復讐劇も古今東西を問わず、様々な形で繰り返されてきたが、演出によってこれほど趣が違ってくるのだなと実感出来る映画だ。特に映画の冒頭シーンの生徒たちが牛乳を飲むシーンはとても印象的だ。あのシーンを観ただけで、これから繰り広げられる物語にとても期待が持てた。

余談だが知り合いの映像編集者は中島哲也監督は「鬼のように人使いが荒く、何人もの知り合いを病院送りにしている」と言っていた。そして、「嫌われ松子の一生」の主演女優である中谷美紀は、その撮影のあまりの過酷さでインドに傷心旅行へと旅立った。

けだし、作品のクオリティと人間的なクオリティは比例しないものだ。中島監督の撮影に参加する人たちは、出来上がった作品のクオリティの高さを信じて、日々の苦痛に耐えているのだろう。

ちなみに「中島哲也監督 鬼」でGoogle検索すると、約 82,900 件ヒットする。そのなかに下記ブログを見つけた。

中谷美紀 VS 中島哲也監督の因縁再び!?「中島監督が大っ嫌い」だった日々を告白

主演女優に対して「殺してやる」と本気で言う人は、ヒエラルキーの一番下に位置する現場スタッフにどのような罵詈雑言を浴びせていたか想像に難くない。

きっと中島組は真性マゾの集まりに違いない。

(文句なしの傑作です。韓国映画史上、最高傑作と言えるでしょう。「冬のソナタ」しか知らない人たちは、韓国映像界に関しての認識を改めると思います。)