Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

新聞を捨て、ネットの世界へ行こう

ネット上では「民主党大敗」について、様々な議論が沸き起こっている。

1. 参議院議員選挙雑感  ホリエモン

2. 格差問題@一票の価値 Chikirinの日記

3.  植草一秀の『知られざる真実』

そして、その中でも秀逸だったのが、植草一秀さんのブログだ。まず記事の冒頭で「民主党大敗の責任は菅首相にあり、菅首相の辞任は避けられない」と責任の所在を明確にしている。

次にその原因を「民主党が大敗した大きな原因が二つある」と説き、「第一は、消費税大増税公約を提示したことだ」と書き、それについて様々な分析を加えて、次に「二つ目の原因は、菅首相が編成した新政権が、主権者国民の意思を踏みにじるものであったことだ」と書き、これに関しても詳しい解説を書いている。

とても論理的であり、非常に論点も明確だ。主観的要素は極力抑えられ、その論調は終始客観的である。では翻って、日本の大新聞はどのような意見を述べているのか気になったので、調べてみた。

社説:敗北・民主党 政策の再構築が先決だ 毎日新聞

なんだかよく分からない。特に非常に残念だったのは「民主党政権への期待がなぜ色あせてきたか、冷静な分析が必要だ」と書いており、そもそもそれがジャーナリストの役目でないかと思う。それを放棄した無責任かつ投げやりな文章だ。

植草さんがその見事な論理的な文章で原因を冷静に分析しているのとは、とても対照的だ。どちらの記事をお金を払って読みたいかと問われたら、100人中100人が植草さんの記事を選ぶのではないだろうか。そのクオリティには圧倒的なまでの差がある。

日本の政治がここまで末期的な症状になったのは、政治の番人たるジャーナリズムがこの程度だったのではないだろうか。インターネットが普及したことにより、ようやく有用な批評や意見が共有されるようになり、政治に関しても厳しい目で見られるようになってきた。情報共有、情報の開示がネットの世界では常識であり、その上で批評や意見が述べられる。ただの情報を垂れ流している今どきの新聞とは、そこが決定的に違う。

もうただの情報には何の価値もない。誰もがそのことをすでに理解していると思ったが、どうやら違ったらしい。

「書を捨てよ町へ出よう」と寺山修司は書いたが、今は「新聞を捨て、ネットの世界へ行こう」が正しい気がしてならない。