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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

南国時間に見るグローバリゼーション

たいていのことはゆっくり流れていく。フィリピンには南国時間が流れており、日本とは違い多くのことに多少なりとも時間がかかる。あまり急かすようなことはしたくないので、こちらもそれを考慮に入れて、もっさりゆっくり受け入れるようにしている。

先生を面接し、その結果を連絡しようとし、何度電話やメールをしても向こうからの返答がないことはざらにある。何事もアバウトな国であるし、これからのことよりは目先のことに集中してしまうお国柄なのだ。

日本の常識は非常識であることは重々承知しているので、たいがいのことは受け入れるようにしている。もちろん、こちらに直接被害を被るようなことは避けるべき努力はしているが、体内時計がゆっくりと流れているからと言って、とやかく言っても仕方がない。

外国人と仕事をする上で重要なことは、相手を受け入れるという態度だ。まずは相手が何を考えているか、それを見極める。こちらが予想だにしない行動論理で動いていることが多々あるので、こちらの常識を振りかざしても意味はないし、かえって大怪我を負うこともある。

グローバリゼーションと声高に叫ばれているが、これは一歩間違えれば、自国の論理を相手に強制させる危険性を孕んでいる。資本主義は弱肉強食の論理で動いており、知らず知らずのうちに「支配する側、される側」の二極化を招いている。

勝つか、負けるかということは本来ならばどうでもいいことだ。それよりも重要なのは、物事をどうやってうまく運ぶかということだ。最も大きな勘違いは「自国の論理を押し通すことが、勝つことに繋がる」という頑なな態度だ。このような硬直した考え方が、無用な争いを招き、事態をより複雑化している。

頭の中には「勝つか、負けるか」しかない人たちと仕事するのは、本当に拷問だ。そもそも彼らにとって仕事を無事遂行することなど眼中になく、ひたすら自分の論理でこちらを攻撃してくる。

そのような人たちを比べると、フィリピン人の人柄の良さには感心するし、体内時計のゆるやかな流れなど取るに足りない、ほんの些細なことだ。

何事も受け入れるということは、グローバリゼーションが進む世界では初歩的な態度だと思っている。

グローバリゼーションとは物事を極端化することではなく、人と人の違いを認めて、多様な価値観を混在する社会を創り上げていくことなのだろう。