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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

【書評】20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ

この本の副題は「20世紀の半分以下の時間と費用で学ぶ最新最短英語学習法」とある。では、万人にとっての最新最短英語学習法などあるのだろうか?

もちろん、そんなものは存在しない。

各自それぞれの学習スタイルが違うからだ。だが、確かにこの本を読めば20世紀の半分以下の時間と費用で英語を習得することは可能になるのでは思う。

誰でも楽をしたい。願わくば、寝ていながら英語を勉強していれば、英語が話せるようになればいい。しかし、作者も指摘していることだが英語をマスターするのには多大な時間がかかり、最低でも1500時間は必要とのことだ。(ちなみにこのブログでも、過去のエントリーでこのことを指摘している)

重要なのは、あなたにとって英語とはそれだけの時間と努力をかけるだけの価値があるものですか、と今一度問い直すことだ。そこをクリアしない限り、一生涯英語をマスターすることなんてことはないだろう。また作者が指摘しているようにTOEIC900点を取ったところで、そこはまだ高い観点から言うとスタート地点にしか過ぎないということだ。

個人的に一番感銘を受けた箇所は下記だ。

「日本国民全員にそれだけの英語力を身につけさせろとは言いません。でも、せめて上位1割の日本人がこれらの国の人々と対等に渡り合える英語力を身につける教育制度を実施してほしいものです。そして、今のままの教育制度では100年経っても、これらの国に並ぶことはできないでしょう」

本の学校教育の根本的な問題は、"下手な平等主義”にある。あたかも全員が等しい能力を持っているように扱うので、色々と弊害が出ている。個人個人には得意不得意があり、それを尊重してその能力を効率よく伸ばすことが必要だ。飛び級やエリートコースなどを設定して、彼らの学力を率先して伸ばす必要がある。そして、努力すればいつでもそのコースに編入可能にし、「下克上可能な集団」を構成することが重要だ。(ちなみにこれも過去のエントリーで言及している)

語学留学で英語を身につけた自分としては作者の「私は海外の語学学校には基本的に行かなくてもよいかと考えています」という考えには全面的には承服できないが、気持ちはよく分かる。自分自身の留学体験がある程度の成功を収めたのは、自分が日本人のなかで肉体的にも精神的にもはずれ値だったからに他ならない。

(身長192cmで、ニーチェドストエフスキー、それにフランスのヌーベルバーグの監督たちをこよなく愛し、いつもUKインディーズロックを聴いていた。当時仲良かったイギリス人からは「君はヨーロッパに生まれていたら典型的なヨーロッパ人だったけど、それが日本だから面白い」と言われた)

たしかに一緒に語学学校に通っていた日本人たちは、どこか馴染めず居心地が悪そうだった。作者も語っていることだが、英語が出来たとしても、自分自身のなかに語るべき何かが存在しない限り、外国人からは相手にされない。自分の場合は、映画、音楽、文学、哲学と言った語るべきことが山ほどあったので、英語が拙い頃でも比較的友人に恵まれた。(そのとき知り合ったクリスティーンとは先月再会した。彼女と共通する話題は、ドストエフスキーだった。僕がサンクトペテルブルクにあるドストエフスキー博物館に行ったことがあると話すと、当時非常に話が盛り上がった)

英語を話すことの目的を「外国人とコミュケーションを取ること」に設定すると、このようなことにも留意して置くことだ。仕事の話しが出来ても、スモールトーク(ちょっとした小話)が出来ない日本人も多くいるので、何か共感し合える話題を自分のなかに持っておくことは必須だ。

この本を通じて、あたな自身の「最新最短の英語学習法」を見つけられたらとても素敵なことだ。最終的には自分の努力を通じてしか、自分自身にとっての英語習得の公式は見つけられないと自覚しつつお読みください。