ひょんなことから英訳をすることになった。
日常的に英語の文章は書いてはいるが、どれも簡単なものなので、本格的に長い英語の文章を書くのは久しぶりな気がする。
思い返してみると、当時ワコムで働いて友人に写真と英文エッセイを依頼されて以来かもしれない。
自分が書いたエッセイを読み返すと、当時のことがかなりはっきりと思い出される。
この英文にある下記の文章は今でも気に入っている。
”Sometimes it is good to encounter your past. Your wrinkle may deepen and your hair may turn white. But there are still things that remain unchanged in yourself.”
(時々、自分の過去と遭遇するのいいことだ。今はそのときと比べて皺は深く刻まれ、白髪は増えているかもしれない。だが、自分自身のなかにまだ当時と変わっていないことがある)
表面的にはここ4、5年は激動の年だったが、結局は行く着くところに行き着いた気がする。
人間の本質なんて変わるわけがないが、そのアウトプットの仕方に熟達するにつれて、周囲の評価は変わってくる。
オスカー・ワイルドは「芸術家にとって表現出来ないことは死んでいる」と言ったが、今では芸術家ではなくても表現出来るようになった。ブログ、ツイッター、写真、起業、SNSなど様々な手段が考えられる。彼が生きていた19世紀とは雲泥の差だ。
いい世の中になったものだ。
アウトプットするものがないとこれらの武器は使えないが、もしそれがあるのであれば現代はそのような人にとって最高の環境を提供してくれる。
結局のところ、表現されないことには評価はされない。
評価されること自体は目的とはならないが、表現されないことには成果物とはならない。
バランスを取りつつも、根気よくこれからもアウトプットすることを続けていこうと思っている。現代人らしくソーシャルメディアや様々な方法を駆使して。