Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

懲りない人:旅の続け方について想うこと。

自分は懲りない人だと思う。

いい意味でも悪い意味でも懲りないと思う。

僕はブラジルのサンパドールで一週間のうちに二度も強盗に襲われたが、取られたものは保険で戻ったし「ま、いっか」と思った。

ブエノスアイレスでは着いてしばらくして愛しのiPhoneを地下鉄でスラれたが、「財布はスラれなくてラッキー!」と思った。

そして、昨日こっちで知り合った人たちと食事に行ったのだが、そのなかの一人が「ブエノスアイレスで着いてしばらくして、地下鉄に乗ったけど、ちょっと変な人たちに囲まれてモノをスラれそうになったから、それ以来怖くて地下鉄に乗っていない」と言う人がいた。

ちなみに彼ら夫婦は、それ以来交通の手段は地下鉄ではなく、コレクティーボ(日本でいう市バス)かタクシーを使用しているという。(ブエノスアイレスのコレクティーボはアホみたい複雑で、乗り場も分かりづらく、時刻表なんてものは当てにならず、ストレスが溜まる代物だ)

スラれそうどころか、実際にスラれた自分からしてみれば、「あー、面倒くさ」と思ってしまう。地下鉄、ブエノスアイレス、アルゼンチン人など問題を固有名詞に置き換えてしまうと、収まりはいいし、その当人には都合がいいかもしれない。

どの国にもその国特有の問題はあるし、その国の人たちにもその国特有の問題はある。それは否定しない。だが、実際に問題が起こったときに対処する方法としては、その国、彼ら、あるいはまた違う固有名詞(地下鉄、タクシー運転手、不動産屋、メルセデス先生(?))のせいにしてしまうと、逆に問題の解決方法が至極面倒くさいことになってしまう。

たまたま出会ったブエノスアイレスに住んでいる外国人からアルゼンチン人の悪口も聞いたし、ブエノスアイレスの問題点もさんざん指摘された。それにアルゼンチン人からも同様にこの国の悪いところを色々と指摘された。

そのどれもが自分には直接関係のないことだ。

自分は今、日本を離れて外国に住んでいる。この事実だけが重要だ。自分が持っている常識や知識以上のことがいつでも起こり得るし、それに対して想像力を駆使して、対処する方法を見つけなくてはいけない。

常にニュートラルな視点で物事を考え、国や人のせいにするくらいなら、自分のせいだと割りきって、その問題の解へと最短でたどり着きたい。

地下鉄でiPhoneをスラれたのは地下鉄が悪いのではなく、自分の不注意のせいだし、ブラジルで強盗に二度も襲われたのも自分のせいだ。(ちなみにそのあと、素晴らしい出会いもあり、それすらいい思い出になった)

結局、僕は懲りない。

懲りずにまたブラジルに行くだろうし、ずっと旅を続けるだろう。人から裏切られても、人を信じることはやめないし、痛い目にあっても、自分の好きなことはずっと続けるだろう。 

それが自分の生き方だし、自分の活かし方だと心得ている。