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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

英語でのプレゼンについて:人に何かを伝えるということ

ずいぶん前に出席した英語教育関係の学会で、ある教授が日本人の学者の英語に言及して「あなたが日本人であるなら、必ずネイティブチェックをしてもらってから論文をこの学会に提出してください」と海外の学会の応募要項に明記してあり、非常に恥ずかしいと発表していた。

アジア人というくくりではなく、はっきりと「日本人」と明記してあり、いかに日本人の書く英語がひどいかということをその教授は指摘し、今後「みんな平等」というような教育は辞めて、中国のようなエリート教育を取り入れないと、日本の未来はないとのことだった。

これは全くそのとおりで、日本人は英語でも日本語でも、「難しいことを難しく書く」ことを良しとしている傾向があり、そのスタイルで論文などを提出すると、海外からはひんしゅくを買ってしまう。海外のスタンダードは「難しいことをいかに簡単に書くか」ということだからだ。(もちろん、ジェイムズ・ジョイスプルーストなどの文学はちがうけど)

とくにプレゼンなどをするときは、いかに自分のアイディアを誰にも分かりやすく簡単に伝えるかということが肝心になる。(ちなみに僕はプレゼンは苦手です。日本語でも英語でも噛みまくります)

上記の茂木先生の英語のプレゼンを見ながら、そんなことを思ってしまった。例えば、この動画の2分28秒くらいのところで「Why such a variation?(なぜそんなにバリエーションがあるのか?)」というスライドがあり、英語的にはなんの問題もないかもだけど、でも「Why do they all look so different?(どうしてみんなそんなに違うの?)」としたほうが言いたいことがより伝わると思うし、より口語的だと思う。

茂木先生の英語力を批判するコメントがあるようだが、たぶんそれは問題ではなくて、単純に上記のような小さな積み重ねで、結局何をいいたいのか非常にわかりづらいプレゼンという印象に繋がってしまう。(特に主題が難しく高度なだけに、余計に分かりにくくはなり易い。その道の専門家が一般向けにプレゼンするときは、「猿にも分かるように」というのが鉄則なのだろう)

それに比べると、このヨーヨーの世界チャンピオンのプレゼンは素晴らしい。簡単な英語で自分の人生を語り、観客とコミュニケーションを取りつつ、彼らの反応を見ながら笑いを誘い、そして最後には超絶ヨーヨーで観客を虜にする。

プレゼンに必要なあらゆる要素が詰まっており、さすがはエンターテイナーだと思う。脳科学者とプロのパフォーマーを比べたら当然、差が出るのは当たり前だけど、それでも「プレゼンとは?」と言われた時に、このプレゼンにある要素を考えながら、構築していくべきだと思う。

プレゼンとは自分の考えを発表する場ではなく、あくまで自分の考えを伝える場なのだ。

きっと多くの人がそれを履き違えてるから、退屈でどうしようもないプレゼンになるのだろう。(自戒を込めています)

よくばらずにせめて一つだけでも伝わればいいというぐらいでちょうどいい。あの有名なスティーブ・ジョブズのプレゼンだって人々の記憶に残っているのは「Stay hungry, Stay foolish」ということだけなのだから。