Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

悲しみのメカニズム:ブエノスアイレスより

マテアスの母親が亡くなった。

先週の木曜日のことだ。夜中の1時半過ぎに携帯に彼からメールが着信し、知らせがあった。

彼とはもう知りあって1年以上になる。週4回から5回、スペイン語をマンツーマンで習っている間柄だ。いわば、それ以上でもそれ以下でもない。知り合いかと言われたら、もちろんそうだけど、「友だちか?」と言われたら、首を縦に振ることを躊躇する・・・・そんな間柄だ。

ここブエノスアイレスで過去ほかに3人ほどからスペイン語を習ったが、彼との関係が一番長続きしている。何よりも先生としてとても優秀だし、自分が分からないことを理路整然と説明してくれるので、頼りにしている。

だが、ほかの三人に比べて、関係性は最も遠いかもしれない。それはあくまで彼が「先生然」としてプロフェッショナルな感じを貫き通していることもその一因のひとつだ。

それでも週の大半を一緒に過ごし、ほぼ毎日1時間半一緒に二人きりで過ごしている間だ。自分の今の日常生活において、最も多くの時間を過ごしている1人と言っても過言でもない。

メールで知らせがあってから、お悔やみの言葉と「自分に出来ることがあったら、何でも言ってくれ」という内容のメールを送った。それから、何度かメールで「明日からクラスを再開する」という知らせがあったが、直前に彼のほうから取りやめたりしたので、今日一週間ぶりに再会した。

お互い大事なことに触れずに、淡々とスペイン語のレッスンを再開した。本人を前にすると、正直何を言っていいか分からないし、何を言っても嘘っぽく聞こえる気がした。彼とは毎日のように会ってはいても、彼の母親とは当然のように面識はない。

友だちに対してならば、もっとずけずけと懐に入っていけるが、この関係性のなかだとそれもはばかられた。

よくよく考えたら彼の父親の話は聞いたことがあったが、母親の話は聞いたことがない。病気だったのかもしれないし、あるいはそうでなかったかもしれない。それさえも、今のところ分からない。

少しづつお互い歩み寄りをして、不自然ではない頃に、彼の傷が少し癒えた頃に母親のことを訊いてみたいとも思うが、当分そっとしておいたほうがいい気もする。

今年は色々と「死」と縁深い年となってしまったが、今回の件が一番リアルに死を感じ取った。たぶん、それは死は概念ではなく、どこまでも肉体的なもので、身体距離が近ければ近いほどリアルに感じ取れるのだろう。

明日はもう少し、もっときちんと不自然ではない程度にマテアスと接せられればいいなと思う。