Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

思春期ほど生き抜くい時期はない

僕はどうしようもなくザ・スミスが好きだ。より正確に言うと、モリッシーを愛している。

10代の後半は毎日、彼の音楽を聴いて過ごし、19歳の頃にスコットランドの首都エディンバラに留学しても、毎日聴いていた。その頃、一番仲良かったイギリス人のサイモンは「スミスは思春期の頃に聴く音楽だけど、ユウキは30、40過ぎても聴いているだろうね」と予言をしたが、実際そのとおりになった。

Please please let me get what I want.

そして、なぜかここブエノスアイレスでは彼のファンが多いのか、レストランやショップ、それにバーに入るたびに彼の音楽が聞こえてくる。今日もとあるショップに入ったら僕が一番好きな曲である「Please please let me get what I want(どうか僕の欲しいものを手に入れさせて)」という曲のカバーがかかっていた。

この曲は「Hatful of Hollow(帽子いっぱいの空虚)」と題されたコンピレーションアルバムの最後に収められている一曲だ。スミス最高の名曲という人も数多い。

しかし、僕がエディンバラに留学する直前に彼が出した「Vauhall & I(ボックスホールと僕)」というアルバムを聴いて、それまでは彼の世界にどっぷりと浸かっていたが、それからは卒業した。このアルバムは「一人のアーティストが辿りつける極限の高みに達している」と自分なりの評価を下し、例えるならばゴダールのようなどこか孤高の存在として、今後もずっと見守っていこうと強く思わせたアルバムだった。

Now my heart is full

「Now my heart is full(僕の心は満たされている)」と題された曲を聴いても分かるように、それまでの悲壮感と絶望にブラックユーモアを交えた歌詞ではなく、どこか悟り切った一種の安堵に満たされた世界がこのアルバムには宿っている。なにせモリッシーのファーストソロアルバムのタイトルは「VIVA HATE(憎しみ、バンザイ!)」なのだ。それから比べれば、彼が人間的にどれほどまでに変わり、またあるひとつの高みに達したか分かる。

伊坂幸太郎の処女作「オーデュボンの祈り」では、その完全の調和に満たされた世界が、じつはひとつ大事なものが欠けていると示唆される。主人公はそれがなんなのか分からず苦悶するが、それが最後には「音楽」だと明かされる。

音楽なしの人生なんて想像出来ないし、モリッシー抜きで辛い思春期を乗り越えることは出来なかっただろう。耳にはスミスを、手にはニーチェの本を持って、なんとかやり過ごした日々だ。そうして、僕は世界へと旅に出たわけだが、きっとあの頃がなかったら今の自分も存在しないわけで、一生懸命に音楽や文学、それに哲学の世界を探索したその頃の自分自身には感謝している。