梅雨だ。
この季節になると京都で過ごした頃を思い出す。
京都は盆地なのでただでさえ湿気がすごいのに、梅雨の季節になると湿気がさらに増大し、ジメジメとした空気がまわりを支配する。
僕の隣の家には紫陽花が咲くので、梅雨の唯一の楽しみがその紫陽花を見ることだった。とくにその紫陽花を這えずり回るカタツムリを見るのが好きだった。
京都ほど四季がはっきりと感じられる土地もそうない。
夏は猛暑で耐え難く、秋は紅葉が空気を和め、冬は底冷えし、春には桜が咲く。
もちろん、どの土地にも紅葉があり桜は咲くが、僕が住んでいた嵐山ではその季節になると、完全にあたり一面の景色が模様替えしてしまう。
山々に囲まれているので、その緑が紅葉に変わる様は、子供の頃でも感動して眺めていた。
桜が咲く季節には全国から観光客が集まるので、嵐山はすごい人込みになる。
よくこんな何もないところに来るなー、と子供の頃は感心しながら眺めていたものだ。
ワビサビの世界が分からない子供には、嵐山の醸し出す風情は縁遠いものだった。
世界を旅するのもいいものだが、生まれ育った土地の景色が恋しくなるときもある。
三年ほど嵐山に行っていない。
行く理由がなかったからだ。
何もないところに行く必要はない、なんて思わなくなる年にいつのまにかなってしまった。