Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

エンターテイメントと芸術の狭間で:ブエノスアイレスにて

ブエノスアイレスに着いて、もう2週間が経った。 毎日、何をしているのかというと、当然タンゴと仕事を行き来しているわけだ。

そして、そんな毎日にふと疲れて、キンドルで漫画をダウンロードしてしまった。

今更ながら、「ハチミツとクローバー」を全巻大人買いだ。 単純に同じ作者の「3月のライオン」の10巻が激アツだったから思わず買ってしまったわけだ。

タンゴと少女漫画にはまる40歳過ぎの日本男子・・・・・我ながら将来が心配にはなる。

時々、文学のような漫画と出会うが、「3月のライオン」はまさにそれだ。あくまでエンターテイメントとしてまとめながら、心に深く突き刺さる。思えば、10代の頃は「死んだ作家(いわゆる世界的文豪)」の作品しか読む価値がないと思っていたが、今ではほぼ生きた作家の作品しか読むことがない。

古典を読み尽くすと、新しいものに惹かれる。 それが今は漫画だったり、エンターテイメント文学だったりするわけだ。そして、同じように洋楽も聞き飽きて、今では「ちょっとイケていないラテン音楽」に夢中になっている。

人の趣味嗜好は変わるものだ。昔だったら、中山可穂の「サイゴン・タンゴカフェ」や辻村 深月の「ぼくのメジャースプーン」などに感動しなかっただろう。

去年、読んだ小説の中では最も感銘を受けた二冊だった。そのあとキンドルで手に入る彼女たちの著書すべてを購入したのは言うまでもない。

人は変わる、すごくシンプルな事実だけど、けっこう見落としがちな事実だ。

文学や漫画は常に歴史との対比でその価値が問われる。「3月のライオン」の作者である羽海野チカがひたすら手塚治虫の世界を目指して、それとはまた違った解答を見つけたように、古典の模倣ではなく、それを自分なりに上回るものを見つけることで新しい価値を創造することが出来るわけだ。

別に歴史的に彼らを上回る必要はない。あくまで自分なりに上回ればいい。

村上龍は「音楽ではビートルズを上回るのは不可能。だから文学を選んだ」と豪語したが、トルストイドストエフスキーを超えるものを作る勝算が彼にはあったのだろう。そして、実際に彼なりの尺度で創作した「コインロッカー・ベイビーズ」や「半島を出よ」は、そのあるひとつの答えにはなっていると思う。 (個人的には「コインロッカー・ベイビーズ」を書いた人が、「半島を出よ」を書いた事実に驚かされる。その変遷こそが、素晴らしい)

と偉そうに文学講義を垂れたところで、日々の仕事に追われている自分に取って見れば、今日を超えられるかが問題であり、まだまだ問題は山積みではある。ただ去年はずっと後ろ向きの対応に追われていたが、今年からは前を向けるような体制を整えてはいきたい。

漫画を読む暇あれば、仕事をしろっつうことか、結局。