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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

真夏の死:ジーンについて

2月の真夏、ブエノスアイレス。 なぜか夏になると、ジーンのことを思い出す。

Gene Boyd

Gene Boyd Lumawag

GENE BOYDに捧ぐ

もう彼が亡くなってから10年もの月日が過ぎているのに、いまだに彼のことを思い出す。別にそれほど仲が良かった友達でもなく、世界報道写真展などで有名なワールドプレスフォトの主催で開催された写真家のワークショップで1週間ほど一緒に過ごしただけの仲だ。

キャノンの協賛が付いていたので、飛行機代もホテル代もただでアムステルダムに一週間ほど滞在して、30歳前後のアジアとヨーロッパの写真家が招待されたワークショップだった。そのなかでなぜか日本代表として自分が選ばれて参加したのだが、今までの人生のなかでも最も濃密な一週間だったかもしれない。

同世代の写真家たちからも刺激も受けたし、それに現役のマグナム所属の写真家が講師となっていたので、世界の超一流の人たちと間近に接して色々と思うこともあった。

ワークショップの閉会式ででワールドプレスフォトの人が、ジーンを空港に車に迎えに行った帰り道、彼が「どうしてもうすでに木は枯れているのに植え替えないの?」と訊かれて、夏しか知らないフィリピンから来た彼に春夏秋冬を説明して、今は冬だけど春から夏にかけて木にはまた葉が生えてくれることを説明にするのに苦労した言っていたことがとても印象に残っている。

もしかしたら、その逸話のせいで彼のことをずっと覚えているのかもしれない。 アムステルダムからの空港からの冬の並木道が、いまだに映像として蘇ってくる。

10年前から時が止まってしまった彼から、一緒にワークショップに参加した仲間は10歳ほど歳を取ってしまった。 別に過去を懐かしむほど、今に退屈はしていない。それでも、やはり夏になるときっと毎年彼のことを思い出しながら、人の死について思いを馳せるだろう。

10年前に思い描いた自分の未来と今の現在はかけ離れているが、別に後悔はしていない。 よく生き延びたものだと思う。

ジーンを思い出すたびに彼の笑顔が浮かぶが、彼の笑顔に恥じないような人生を歩んでいきたいとは思う。そして、それを思うと同時に死はあまりに突然に訪れるものだと痛感させられる。

フィリピンの島で夕暮れの写真を撮りに行って、意味もなく眉間を銃で撃ちぬかれたジーン。

あっという間の出来事だったろうし、死んだことさえ本人は気づかないで逝ってしまったのではと思う。それだけに、やはりずっと自分の心のなかに彼のことが残ってしまうし、家族や友人たちもきっとそういう思いをずっと抱いているだろう。

人はよく死になんらかの意味を見出そうとするが、そんなことは無意味な行為だとジーンの死を思うたびにそう思う。

どんなことがあっても月日が経てば、人々の記憶は風化する。それでも残った記憶だけが、もしかしたら自分が生きた証と言えるのかもしれない。そんな記憶をいくつか携えて、人々は時々立ち止まりながら生きていく。

ワークショップの仲間といつかは再会して、ジーンのことを思い出しながら、また語り合おうと思っている。