ウルグアイに来るのは、三度目だ。
一度目はブエノスアイレスの対岸にあるコロニアという街に行き、二度目は温泉があるサルトに行った。
とてもいい街だ。
特にブエノスアイレスのような若干物騒なところに住んでいると、この街の良さが身に染みる。
日本では、友だち、いや友だちの友だちを含めて、空き巣や盗難に遭った人はいなかったが、ブエノスアイレスでは空き巣や盗難にあったことがない人を見つけるのが難しい。
モンテビデオの街を歩いても、ブエノスアイレスにいるときのようなひりひりとした緊張感はあまりない。もちろん、日本に比べるとずっと危険だと思うが、ブエノスアイレスなんかと比べると雲泥の差だと言える。
南米は今まで、ブラジルを初めとして、チリ、ウルグアイ、コロンビアと旅したが、アルゼンチンという国はどの国よりも経済面で立ち遅れ、インフラや治安でも大きく劣っているように思える。(唯一、ブラジルはアルゼンチンよりは危険だとは思うが、ほかの国はいたって安全だ)
時々どうして、「自分はこの国に住んでいるのだろうか?」と自問自答しているが、答えはいまだに見つからない。不確定要素がより多いアルゼンチンという国、そしてどこかメランコリックな雰囲気を漂わせたブエノスアイレスという街が意外と自分で思っている以上に気に入っているのかもしれない。
例えば、ここ「モンテビデオに住みたいか?」と問われたら、「イエス」とは答えないだろう。明らかにブエノスアイレスよりは住みやすいし、色々な制限もない。だが、やはりそれでは物足りない。
スパイスが足りないというか、もっと香ばしい何かが欲しい。便利さや快適さなどもはや求めていない。自分のなかにないもの、何か新しいものがある世界を見たいのだろう。
規制だらけの国だが、逆に規制がないと何をするのか分からない国民性がある。日本では投票率が向上すれば、政治は良くなると思っている人が多いが、ここアルゼンチンでは投票は義務なので、投票率は軽く90%を超えている。
だが、そうなると国民の大多数を占める貧困層に取り入る政策を取らざるを得ないので、結局は国民を甘やかすことになる。(子供を産めば補助金がもらえるので、ばかばか子供を生む貧困層が後を絶たなかったりする)
21世紀の処世術は、国や人種の枠を超えて、個人としていかに生きていくか、その術をしっかりと身につけていくことにあるのだろう。