Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

昭和の男

一昨日の日曜日、父を火葬にした。

家族だけで行う予定で、火葬場でちょっとしたセレモニーをする予定だったのだが、父の兄弟姉妹、さらにその息子、娘さんたちが集まり、結局20名ほど集まった。

 

棺に入れて、最後火葬する段になって、父の無二の親友である男性が、「おい!松岡!待ってろよ!おれもすぐ行くからな!」と言った。

 

小学校から一緒に過ごし、80年近くも付き合いがあった人だ。その言葉はとても重かった。

 

そのあと、親戚一同、一緒に会食をした。

目の前に座ったのは、父の妹夫婦だったので、昔のことを色々と聞いてみた。

 

ご主人は父と同じ会社に30年勤務したので、昔の事情にも詳しかった。

 

「お父さんはすごい人だった!」

「数々の武勇伝がある!」

 

そんなことを聞いたが、正直ピンと来なかった。

子供の頃、父は家にいなかった。

休みは月一回程度だったので、かなりのレアキャラだ。

 

まともに話したのは中学2年の時に東京に引っ越して、それから高校生の時に一人で京都に遊びに来た時ぐらいだ。

 

それから自分はイギリスにいっていたし、父が61歳で退職するまであまり関わっていない。

 

それでも要所要所に出番はあったが、母とは違い、どこか異質の存在だった。

仕事にしか興味のない人だったし、親子関係を築くのは難しかった。

 

毎年、誕生日祝いをしたが、2年前の誕生日にプレゼントを渡すと、「ああ」と言い、母に「ありがとうでしょ!」と怒られていた。

 

また最後の誕生日となった今年の誕生日、父にプレゼントを渡すと、「すいません」と言った。

 

本当に昭和の男は使えない。

家族に感謝を表すのが照れくさいのだろう。

 

ただ、最後、死の前日に父が心配だったので、神奈川まで会いに行った。

明らかに水分不足だったので、経口補水液を買って持っていった。

そして、食べやすい水炊きと雑炊も作った。

 

父はほとんど食べられなかった。

また経口補水液を買い続けるのは現実的ではないので、その代わりとなるものを食塩と砂糖で作れるようにレシピを書いて、それを父に渡した。

 

そこで父は私に「ありがとう」と言った。

奇しくも父の私に対する最後の言葉が、ありがとうだった。

 

そんな父と私とのやりとりを母が嬉しそうに見ていた。

最後の最後に辻褄を合わせた・・・・そんな感じだった。

 

 

 

 

 

父の死について。

父が亡くなった。

3年前に大腸がんになり、大腸全摘で骨と皮だけになっても、手術後わずか3週間で自力で歩くことができるほど回復した人があっけなく逝ってしまった。

 

83歳だった。

父の亡くなり方を見ると、緩慢な自殺という言葉が思い浮かぶ。

 

それはネガティブなものではなく、もう十分に生きたという証だ。

 

亡くなる2、3ヶ月前からソファに座っていても、いつの間にか居眠りをすることが多くなった。食事量も減り、さらに以前から水はほとんど取ってもいない。

 

ただ、元気に酒とタバコだけはやっていた。

両方、10代からやっているから筋金入りだ。

 

先週の金曜日に母から、「ずっと吐き気をすると言っている。」と聞いた姉と私は心配になった。

 

そこで姉は父を病院に連れて行き、吐き気止めと点滴を打ってもらい、私は食べやすい水炊きと雑炊を作りに行った。

 

母は相変わらず足腰が弱く、自分のこともままならないので、我々二人が協力した。

 

翌日の土曜日も吐き気がおさまらず、心配した姉と私は大きな病院に連れて行くことにして、結局救急車を呼んだ。

 

父は母から「救急車を呼ぶ?」と聞かれたら、「アホか。」と答えたらしい。

昭和なのだ。

 

病院で血液検査、胃カメラなどをしてひと段落ついた。

特に血液検査は長年の飲酒の影響が全くなく数値的には問題なかった、肝硬変などの事態を予想していたが、そんな心配は杞憂に終わった。

 

とりあえずは一安心と思い、私は土曜の夜にタンゴを踊りに行った。

久しぶりに友人たちと再会し、踊りよりも話が弾み、かなり遅い時間になったので車で友人を送った。

 

目黒に着いたのは深夜1時半になろうかという時だった。

そこで妻から連絡があった。

 

「お父さんの心臓が・・・・」と聞いて、すぐに入院している神奈川の病院へと車で向かった。

 

着いた時にはすでに亡くなった直後だった。

母と姉、それに姉の家族は3、4分前に着いたばかりらしく、急な亡くなり方に戸惑いを覚え泣いていた。

 

そこで私はわざと明るい調子で、「大往生だね!このまま入院して退院しても、もう絶対禁酒だったから、それはいやだっただろうし。」と言った。すると母が「そうだよね、最後の最後まで好きなお酒飲めたし、よかったね。」と言った。

 

血液検査の結果では肝臓の数値は問題なかったが、腎臓は3割ほどしか機能しておらず、脱水症状が見られた。

 

これからは水割りではなく、水を飲む生活が待っていたわけだ。

 

父は高度成長時代を経験し、バブルで浮かれ、バブル崩壊で全財産を失い、それでも老後は私や姉が色々なところを連れて行った。財産が弾けても、私が住む場所を用意し、姉がよく世話をした。

 

去年の夏に両親と私たち夫婦で横浜のクラブフロアに宿泊し、クラブラウンジで夕方から一緒に飲んだ。父は午後5時半から深夜0時半までウイスキーロックを飲み続けた。

 

あとから母に言わせると、「嬉しくて調子乗って飲みすぎたのよ。」と言っていた。今年も連れて行きたかったが、母の状態がそれどころではなくなっていた。

 

これからは年老いた母の面倒を見ないといけないし、心配の種は尽きない。しかし、父はいい人生を送ったと思っている。それが家族の総意だ。

幸せな人だ。

 

 

『進撃の巨人』を、妻と見終えた

 

昨日、妻と二人で『進撃の巨人』を最後まで見終えた。

Netflixで少しずつ見続け、ようやく物語の終わりまでたどり着いた。

見終えたあと、しばらく考えてしまった。

 

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人を殺すことは悪だと言われる。

けれど、戦争になると、殺せば殺すほど、それは戦果と呼ばれる。

 

そして、人から称えられることさえある。

考えてみれば、不思議な話である。

 

当たり前のように受け入れているが、私たちは、かなり非常識な世界に生きているのかもしれない。

 

『進撃の巨人』は、その矛盾から目をそらさない作品だった。

 

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この作品が扱っているのは、単純な善と悪ではない。

 

正義と悪の戦いでもない。

 

自己犠牲を美しく描いただけの物語でもなければ、大量殺戮を戦果として肯定する話でもない。

 

それぞれの立場に、それぞれの歴史がある。

 

恐怖がある。

怒りがある。

守りたい人がいる。

 

自分たちが生き残るために、相手を滅ぼさなければならない。

 

相手もまた、同じことを考えている。

 

複雑な価値観と思惑が絡み合い、誰か一人を悪者にするだけでは終わらない物語になっていた。

 

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私はロシア文学が好きで、トルストイやドストエフスキーの作品をよく読んだ。

 

『戦争と平和』。

『罪と罰』。

 

そこに描かれているのは、事件そのものだけではない。

 

人はなぜ人を殺すのか。

正義とは何か。

罪は誰が決めるのか。

 

人間は、どこまで自分の行為を引き受けることができるのか。

 

文学が長い時間をかけて扱ってきた問いを、『進撃の巨人』はアニメーションという形で描いている。

 

そのことに、少し驚いた。

 

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途中には、物語というより、ほとんど前衛的な映像作品のように感じる回もあった。

 

時間が入り乱れる。

記憶と現実の境目が曖昧になる。

 

過去に起きたことが未来へ影響し、未来の出来事が過去の選択を変えていく。

 

簡単に理解できる話ではない。

 

けれど、わからないままでも、何かが残る。

 

それもまた、芸術の一つの形なのだと思う。

 

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もっと後味の悪い終わり方になると思っていた。

 

けれど、最後は何とか物語として着地した。

 

救われたと言ってよいのかはわからない。

 

完全に納得できる答えが示されたわけでもない。

 

それでも、長い物語はきちんと終わった。

 

そして振り返ってみると、最初から置かれていた無数の伏線が、後半で次々に回収されている。

 

あれほど複雑な物語を、最後まで崩さずに描ききった。

ストーリーテラーとして、圧巻だった。

 

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この作品を見て育った子どもたちは、どのような大人になるのだろう。

単純に、正義の側と悪の側を分けることはできない。

 

敵にも家族がいる。

 

自分の正義が、誰かにとっての恐怖になることもある。

 

そういう物語に幼い頃から触れることが、どのような感覚を育てるのだろう。

 

もちろん、一つの作品だけで人が変わるわけではない。

けれど、心のどこかに問いが残ることはある。

 

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間違いなく、表現は進化している。

 

かつて小説でなければ描けなかったような複雑なテーマが、漫画やアニメーションを通して伝えられるようになった。

 

日本で生まれたこの物語が、世界のさまざまな場所で見られている。

 

国も、言葉も、歴史も違う人たちは、どのように受け取るのだろう。

少し聞いてみたい気がする。

 

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今日、千葉から東京へ向かう車の中で、昨日見終えた『進撃の巨人』について、妻と話した。

 

最終回まで見ても、腑に落ちないことはたくさん残っていた。

 

その中で、妻が言った言葉が気になった。

 

「愛を深く感じる人ほど、復讐に走ることが多いのかもしれない」

 

確かに、そういうことはあるのかもしれない。

 

けれど、そうなると今度は、愛とは何かという問いが残る。

 

大切な人を守ることが愛なのか。

 

その人を奪った相手に復讐することも、愛から生まれるのか。

 

愛という言葉の中に、どこまでの行為が含まれるのか。

 

そこは、もう少し考える必要がありそうだった。

 

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『進撃の巨人』で繰り返し描かれていたのは、家族や友人を殺された人たちの心情だった。

 

家族を殺した人。

友人を奪った人。

 

その相手と手を組み、今度は世界の危機に立ち向かうことができるのか。

 

「あなたは、それでも一緒に戦えますか」

 

それは、この作品が何度も突きつけてきた問いの一つだった。

 

イエスと答えられるのか。

ノーと答えるのか。

 

簡単に答えられることではない。

 

同じ人であっても、置かれた状況や、その時の心によって答えは変わるだろう。

 

妻と私は、互いに思ったことを話した。

けれど、最後まで答えは出なかった。

 

答えの出ない感想を言い合いながら、車は東京へ向かっていた。

釣り堀に行こうと言われるうちに

 

昨日、私の姪のちいちゃんが遊びに来た。

八歳になる女の子で、お父さんに連れられてやって来た。

 

本当はその日、私はタンゴ仲間と、ディエゴとアルダナの送別ミロンガへ行く予定だった。

 

彼らはこれから上海へ行き、その後、ブエノスアイレスへ向かう。

二ヶ月ほど日本を離れるという。

 

しばらく会えなくなるので、最後に顔を出そうと思っていた。

けれど、その日にちいちゃんが来ることになった。

 

迷うことはなかった。

家族一択である。

 

友人には本当に申し訳ないが、送別ミロンガはキャンセルした。

 

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何時に来るのか、よくわからなかった。

 

仕方がないので妻と家で動画を観ていると、午後四時頃、外からドカドカと足音が聞こえてきた。

 

到着するなり、ちいちゃんは言った。

「釣り堀に行こう」

午後四時である。

 

しかも、外は35度近い。

 

私は釣りにほとんど興味がない。

何とか別の方向へ持っていこうとした。

 

「鬼ごっこは?」

「かくれんぼは?」

 

いろいろ提案してみた。

 

けれど、ちいちゃんは釣り堀の一本槍だった。

調べてみると、午後六時まで営業している。

 

結局、私と妻、お義父さん、ちいちゃんとお父さんの五人で、近所の釣り堀へ行くことになった。

 

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四時半過ぎに到着した。

鯉を釣る池だった。

 

着くなり、お義父さんは一人で釣りを始めた。

 

少し離れた場所に座り、黙々と釣り糸を垂らしている。

 

傍から見れば、一人で来た釣り好きのおじさんにしか見えない。

 

家族で来た気配がまったくない。

 

さすが、天上天下唯我独尊である。

 

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妻は最初から見学だった。

 

私はちいちゃんと、ちいちゃんのお父さんのそばで釣りを始めた。

 

ちいちゃんは前回来た時に、十八匹も釣ったらしい。

 

かなり自信がある。

 

実際、始めるとすぐに何匹か釣り上げた。

 

私は初めてだったので、最初は勝手がわからなかった。

 

餌のつけ方。

浮きの見方。

竿を上げるタイミング。

 

少しずつ試しているうちに、だんだんコツがわかってきた。

 

そして、続けて何匹か釣れるようになった。

 

すると、ちいちゃんの機嫌が少しずつ悪くなった。

 

自分より私の方が釣れ始めたからだ。

 

わかりやすい。

私は六匹ほど釣ったところで、休憩することにした。

 

大人なのである。

 

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お義父さんも、一人で釣ることに飽きたのか、いつの間にかちいちゃんのそばへ来ていた。

 

ちいちゃんのお父さんは、釣り竿に餌をつける。

 

魚が釣れると、針を外す。

そして、池へ戻す。

完全に裏方になっていた。

 

釣れば釣るほど、お父さんの仕事が増えていく。

 

魚を釣っても、すぐに逃がす。

 

また餌をつける。

また釣る。

また逃がす。

 

考えてみると、少し不思議な遊びである。

 

釣れれば釣れるほど面倒になるので、一種の罰ゲームのようにも見えた。

 

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それでも、周りには本気の釣り人が何人もいた。

 

鯉の池とは別に、ブラックバスの釣り堀もあった。

 

自分の竿を持ち、かなり本格的な格好で釣っている人もいる。

駐車場には東京ナンバーの車もあった。

 

千葉では、案外有名な場所なのかもしれない。

 

施設はかなり自由な状態で、あまり整備に力を入れている様子はなかった。

それでも人が来る。

 

きっと、それで成り立っているのだろう。

 

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一時間半ほど釣りをしたあと、みんなで丸亀製麺へ行った。

ちいちゃんが、うどんを食べたいと言ったからだ。

 

食事を終えて家へ戻ると、今度は近所のスーパーへ行きたいと言い出した。

ちいちゃんはお父さんに連れられ、そのまま帰っていった。

 

来た時と同じように、慌ただしかった。

 

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釣り堀でかいた汗が、身体に残っていた。

私は一人で、近所の日帰り温泉へ行った。

 

湯に浸かりながら、静かになった一日を思い返した。

送別ミロンガには行けなかった。

 

釣りにも、それほど興味はなかった。

 

35度の中で釣り堀へ行くことになるとも思っていなかった。

 

けれど、こんなふうにちいちゃんが私にまとわりついてくるのも、あと二、三年かもしれない。

 

ちいちゃんは、ずっと八歳ではない。

 

「釣り堀に行こう」

 

そう言われて一緒に出かけられる日も、いつか終わる。

 

それまでは、もう少し付き合ってみようと思う。

十年わからなかったことが、一年でわかった

昨日、久しぶりにタンゴの練習をした。

練習というより、タンゴ友達に教えている。

 

教え始めてから、もう一年になる。

最近、ようやく踊りが形になってきた。

 

本人も、とても満足そうだった。

 

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身体の使い方には、原理がある。

 

上下。

左右。

前後。

 

互いに反対方向へ働く力を使い、身体の中に引っ張り合いをつくる。

そうすることで、手足だけではなく、体幹から動けるようになる。

 

これはタンゴに限った話ではない。

 

多くの踊りやスポーツに、共通する身体の使い方だと思う。

けれど、それを言葉で説明する人はあまり多くない。

上手な人は、すでに身体でできている。

 

自然にできているからこそ、どうやっているのかを説明する必要がないのかもしれない。

 

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私は、自分が長い時間をかけて理解したことを、できる限り言葉にしてきた。

 

身体のどこを使うのか。

どちらへ力を出すのか。

どこを引き上げ、どこを下げるのか。

 

なぜ、その動きになるのか。

 

一つずつ確認しながら、丁寧に伝えてきた。

そして、ようやく一年で形になってきた。

 

「一年もかかったね」

私がそう言うと、彼女は言った。

 

「十年以上やってもわからなかったことが、たった一年でできるようになったんだから、早いよ」

 

確かに、その通りだった。

 

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多くの人は、レッスンを受け続ければ、いつか自然に上手になると思っている。

 

私自身も、以前はそう思っていた。

 

だから、たくさんの先生からレッスンを受けた。

 

けれど、レッスンの数と上達は、必ずしも比例しない。

 

何を練習しているのか。

 

身体をどう使おうとしているのか。

 

その原理がわからないままでは、何度踊っても同じところを回り続けることがある。

 

まず必要なのは、身体の使い方を知ることなのだと思う。

 

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身体が自然に使えるようになると、今度は別のことに集中できる。

 

音楽を聴くこと。

 

相手との間に何が起きているのかを感じること。

 

音楽から、次の動きが生まれるのを待つこと。

 

ステップを考えるのではなく、その瞬間に必要な動きを選ぶこと。

本当は、そちらの方がずっと大切だ。

 

身体の使い方は、踊りそのものではない。

踊るための土台なのだと思う。

 

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体幹をしっかり使って踊ると、身体への負荷は大きくなる。

 

何時間も、同じ強さで踊り続けることは難しい。

 

それでも私は、たくさんの曲を何となく踊るより、一曲ずつ丁寧に踊る方が好きだ。

 

一つの音楽に集中する。

相手と向き合う。

全身を使って、その三分間を踊る。

 

その方が、私には楽しい。

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昨日、彼女と踊りながら、ようやく次の段階に入ったのだと感じた。

 

身体のことを考えず、音楽と相手に集中できる。

 

そこから、やっとタンゴが始まるのかもしれない。

 

源泉かけ流しのあるシェラトン

今回の神戸では、神戸ベイシェラトンホテル&タワーズに三泊した。

このホテルを選んだ理由は、はっきりしている。

源泉かけ流しの温泉があるからだ。

 

神戸での施術会は、朝8時半から夕方5時まで続く予定だった。

終わったあと、そのままホテルへ戻り、温泉に入ることができる。

それを考えて、施術会の前日から三泊することにした。

 

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施術会当日は、一人ひとり、順番に施術を行った。

初めてお目にかかる方も多かった。

 

身体を見ながら、いろいろな話を聞いた。

気がつけば、夕方5時になっていた。

 

施術会を終えると、そのままホテルへ戻った。

そして、すぐに温泉へ入った。

 

湯に浸かると、一日中張っていた身体が、少しずつほどけていった。

生き返った。

 

大げさではなく、そういう感じだった。

施術をする側の身体も、当然疲れる。

 

人の身体を見るということは、自分の身体も使っているということなのだと思う。

 

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神戸ベイシェラトンには、自家源泉100%の源泉かけ流しの温泉がある。

浴衣とスリッパのまま、専用のエレベーターで温泉へ行くことができる。

 

シェラトンという外資系ホテルでありながら、どこか温泉旅館のようでもある。

温泉があることを知って選んだホテルだった。

 

けれど、なぜここまで日本的なのかは、泊まってみて初めて気になった。

 

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調べてみると、このホテルは2011年にホテルニューアワジグループが買収し、再生したホテルだという。

 

当時は赤字が続いていた。

 

普通に考えれば、神戸や大阪へ来るビジネス客を増やそうとするのだろう。

けれど、ホテルニューアワジは、そこを追わなかった。

 

自分たちが温泉旅館やリゾートホテルで培ってきたものを、シェラトンへ持ち込んだ。

 

新しく温泉を掘る。

浴衣で過ごせるようにする。

兵庫県の食材を使う。

 

便利さだけではなく、ホテルでゆっくり過ごしたい人に向けた場所へと変えていった。

それで、ようやく納得した。

 

シェラトンに、たまたま温泉があったわけではない。

ホテルを再生するための中心に、温泉が置かれていたのだ。

 

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施術会の翌日は、妻と二人で淡路島へ行った。

車で島を巡り、海を眺め、海鮮丼を食べた。

特別に多くの予定を入れていたわけではない。

 

気になる場所に立ち寄りながら、一日を過ごした。

 

施術会のために神戸へ来たのだが、そのおかげで、妻と二人で淡路島を訪れる時間もできた。

 

仕事と休みの境目が、少し曖昧になる。

こういう旅も悪くない。

 

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ホテルニューアワジは、淡路島でも、経営が難しくなったホテルや旅館を次々に引き受けてきたという。

 

すべてを壊して、新しく作り直すわけではない。

 

そこにある景色。

温泉。

食材。

建物。

 

それぞれの場所が持っているものを見直し、別の役割を与えていく。

 

再生とは、新しいものを加えることだけではないのだと思う。

すでにあるものの使い方を、もう一度見つけることでもある。

 

それは、身体と少し似ている。

 

調子を崩した身体も、すべてが壊れているわけではない。

 

本来持っているものが、うまく使えなくなっているだけのことがある。

 

無理に別のものへ変えるのではなく、その身体にすでにあるものを見つけ直す。

そうすると、また動き始めることがある。

 

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三泊の間、何度も温泉に入った。

部屋で休み、温泉に入り、また部屋へ戻る。

 

何かをしなければならないわけでもない。

ただ、ホテルの中でゆっくり過ごす。

 

源泉かけ流しの温泉がある。

それだけで、このホテルを選ぶ理由としては十分だった。

 

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今日は、一日かけて車で千葉へ帰る。

急がず、休みながら帰るつもりだ。

 

そして明日は、宮薙の日である。

 

宮薙という名の、草刈りの日だ。

朝から一日、神社の草を刈る。

 

淡路島から神戸へ。

神戸から千葉へ。

施術の時間から、温泉の時間へ。

旅の時間から、草刈りの時間へ。

 

温泉で生き返った身体を、今度は草刈りに使う。

なかなか忙しい。

 

けれど、そうやって身体を使いながら、また日常へ戻っていくのだと思う。

参考:

[神戸のシェラトンが「温泉&浴衣」になった納得の事

president.jp

情])

なぜかタンゴで膝の痛みが消えた・・・・

先週の木曜日の夕方、タンゴ友達から連絡があった。

 

「今日、ミロンガに行かない?」

 

という誘いだった。

 

その日は思ったより仕事が長引いて、通知を見たのは夜の8時過ぎだった。

特にそのあと予定があったわけでもない。

 

そのまま家に帰るだけだったので、車を四谷へと走らせ、友達と合流することにした。

 

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当然、タンゴを踊る準備などしていなかった。

車に入れっぱなしにしていたタンゴシューズを取り出し、そのまま踊りに行った。

 

久しぶりに履くシューズだった。

あまり気にせず踊り始めたのだが、やたらと足が滑る。

 

何度も滑る。

自分でもおかしいと思うくらい滑る。

 

一緒に踊っていた友達にも、

 

「あなた、どうしたの?」

 

と聞かれてしまった。

 

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あとでシューズをよく見てみると、底がもう完全にツルツルだった。

 

グリップがまったく効かない。

滑るのも当然だった。

 

その日は、いつも以上に足で床をつかもうとしていたのだと思う。

自然ではない力が入っていた。

 

それでも何とかその場を切り抜けて、帰った。

翌日、左膝が痛いことに気づいた。

膝を曲げると、ピキンと嫌な痛みが走る。

 

これはまずいと思い、自分でできる範囲の手当をした。

 

すると痛みの半分くらいは取れた。

 

ただ、膝を深く曲げようとすると、やはり痛みが残る。

90度を越えるあたりから、嫌な痛みが出る。

これはしばらく無理をしない方がいいと思った。

 

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金曜日は特に大きな予定もなかったので、温泉に行って、ゆっくり過ごした。

膝の回復を促すつもりだった。

 

土曜日には、ディエゴとアルダナのプライベートレッスンが入っていた。

 

できれば、それまでに少しでも状態を上向かせたかった。

 

だから負荷のかかる動きは避けた。

運動も体操もしない。

 

仕事だけをして、できるだけ膝に余計なことをしないようにした。

すると夕方、アルダナから連絡があった。

 

仕事の都合で、レッスンをキャンセルしたいとのことだった。

残念ではあった。

 

けれど、どこかで少し納得もした。

 

これは、今は無理をしない方がいいということなのかもしれない。

そう思って、そのまま受け入れた。

 

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日曜日は、彼らのショーがあった。

 

 

それは楽しみにしていたので、踊りに出かけた。

膝の状態は、正直、金曜日からあまり変わっていなかった。

 

 

曲げると痛い。

深く曲げようとすると、まだ嫌な痛みがある。

 

だからその日は、左足にあまり重心をかけないように踊ろうと思っていた。

 

無理はしない。

そう決めていた。

 

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ところが、その会場はショーのためにかなり広いスペースが取られていた。

 

踊り始めると、思った以上に気持ちよく動けた。

気づけば、自分の左膝のことを少し忘れていた。

それなりに激しく踊っていた。

 

というより、だいぶ調子に乗っていたのだと思う。

 

一緒にいた友達から、

「あなた、ショーじゃないんだから」

 

と言われた。

 

さらに、

「デモしてるわけじゃないんだから」

とも言われた。

 

たしかに、その通りである。

こちらはただの一般参加者である。

しかも、膝が痛いはずの人間である。

 

それなのに、なぜか広い床を見ると、身体が勝手に張り切ってしまう。

困ったものだ。

 

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一度だけ、左膝にピキンと痛みが走った。

その時は、さすがにこれはいけないと思った。

 

そこからは無理な動きは避けた。

それでも、休み休みではあるが、3、4時間ほど踊り続けた。

 

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帰り道、ふと気づいた。

左膝の痛みが消えていた。

 

これは、アドレナリンやドーパミンのせいだろうと思った。

踊って興奮しているから、今だけ痛みを感じていないだけだろう。

 

明日になれば、また痛みは戻ってくる。

そう思っていた。

 

けれど、今日になっても特に問題がない。

膝も普通に曲がる。

 

曲げても、今のところ痛みは出ていない。

もちろん、無理をするつもりはない。

 

しばらくは気をつけながら身体を使うつもりだ。

 

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それにしても、不思議なものだと思う。

滑るシューズで踊って、膝を痛めた。

 

その膝の痛みが、またタンゴを踊ることで消えた。

 

休ませることで戻ることもあれば、動かすことで戻ることもある。

 

タンゴで膝の痛みが治る。

 

そんなことを簡単に言うつもりはない。

ただ、少なくとも私の身体には、そういう不思議なことが起きた。