Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

源泉かけ流しのあるシェラトン

今回の神戸では、神戸ベイシェラトンホテル&タワーズに三泊した。

このホテルを選んだ理由は、はっきりしている。

源泉かけ流しの温泉があるからだ。

 

神戸での施術会は、朝8時半から夕方5時まで続く予定だった。

終わったあと、そのままホテルへ戻り、温泉に入ることができる。

それを考えて、施術会の前日から三泊することにした。

 

 

施術会当日は、一人ひとり、順番に施術を行った。

初めてお目にかかる方も多かった。

 

身体を見ながら、いろいろな話を聞いた。

気がつけば、夕方5時になっていた。

 

施術会を終えると、そのままホテルへ戻った。

そして、すぐに温泉へ入った。

 

湯に浸かると、一日中張っていた身体が、少しずつほどけていった。

生き返った。

 

大げさではなく、そういう感じだった。

施術をする側の身体も、当然疲れる。

 

人の身体を見るということは、自分の身体も使っているということなのだと思う。

 

 

神戸ベイシェラトンには、自家源泉100%の源泉かけ流しの温泉がある。

浴衣とスリッパのまま、専用のエレベーターで温泉へ行くことができる。

 

シェラトンという外資系ホテルでありながら、どこか温泉旅館のようでもある。

温泉があることを知って選んだホテルだった。

 

けれど、なぜここまで日本的なのかは、泊まってみて初めて気になった。

 

 

調べてみると、このホテルは2011年にホテルニューアワジグループが買収し、再生したホテルだという。

 

当時は赤字が続いていた。

 

普通に考えれば、神戸や大阪へ来るビジネス客を増やそうとするのだろう。

けれど、ホテルニューアワジは、そこを追わなかった。

 

自分たちが温泉旅館やリゾートホテルで培ってきたものを、シェラトンへ持ち込んだ。

 

新しく温泉を掘る。

浴衣で過ごせるようにする。

兵庫県の食材を使う。

 

便利さだけではなく、ホテルでゆっくり過ごしたい人に向けた場所へと変えていった。

それで、ようやく納得した。

 

シェラトンに、たまたま温泉があったわけではない。

ホテルを再生するための中心に、温泉が置かれていたのだ。

 

施術会の翌日は、妻と二人で淡路島へ行った。

車で島を巡り、海を眺め、海鮮丼を食べた。

特別に多くの予定を入れていたわけではない。

 

気になる場所に立ち寄りながら、一日を過ごした。

 

施術会のために神戸へ来たのだが、そのおかげで、妻と二人で淡路島を訪れる時間もできた。

 

仕事と休みの境目が、少し曖昧になる。

こういう旅も悪くない。

 

 

ホテルニューアワジは、淡路島でも、経営が難しくなったホテルや旅館を次々に引き受けてきたという。

 

すべてを壊して、新しく作り直すわけではない。

 

そこにある景色。

温泉。

食材。

建物。

 

それぞれの場所が持っているものを見直し、別の役割を与えていく。

 

再生とは、新しいものを加えることだけではないのだと思う。

すでにあるものの使い方を、もう一度見つけることでもある。

 

それは、身体と少し似ている。

 

調子を崩した身体も、すべてが壊れているわけではない。

 

本来持っているものが、うまく使えなくなっているだけのことがある。

 

無理に別のものへ変えるのではなく、その身体にすでにあるものを見つけ直す。

そうすると、また動き始めることがある。

 

 

三泊の間、何度も温泉に入った。

部屋で休み、温泉に入り、また部屋へ戻る。

 

何かをしなければならないわけでもない。

ただ、ホテルの中でゆっくり過ごす。

 

源泉かけ流しの温泉がある。

それだけで、このホテルを選ぶ理由としては十分だった。

 

 

今日は、一日かけて車で千葉へ帰る。

急がず、休みながら帰るつもりだ。

 

そして明日は、宮薙の日である。

 

宮薙という名の、草刈りの日だ。

朝から一日、神社の草を刈る。

 

淡路島から神戸へ。

神戸から千葉へ。

施術の時間から、温泉の時間へ。

旅の時間から、草刈りの時間へ。

 

温泉で生き返った身体を、今度は草刈りに使う。

なかなか忙しい。

 

けれど、そうやって身体を使いながら、また日常へ戻っていくのだと思う。

参考:

[神戸のシェラトンが「温泉&浴衣」になった納得の事

president.jp

情])

なぜかタンゴで膝の痛みが消えた・・・・

先週の木曜日の夕方、タンゴ友達から連絡があった。

 

「今日、ミロンガに行かない?」

 

という誘いだった。

 

その日は思ったより仕事が長引いて、通知を見たのは夜の8時過ぎだった。

特にそのあと予定があったわけでもない。

 

そのまま家に帰るだけだったので、車を四谷へと走らせ、友達と合流することにした。

 

 

当然、タンゴを踊る準備などしていなかった。

車に入れっぱなしにしていたタンゴシューズを取り出し、そのまま踊りに行った。

 

久しぶりに履くシューズだった。

あまり気にせず踊り始めたのだが、やたらと足が滑る。

 

何度も滑る。

自分でもおかしいと思うくらい滑る。

 

一緒に踊っていた友達にも、

 

「あなた、どうしたの?」

 

と聞かれてしまった。

 

 

あとでシューズをよく見てみると、底がもう完全にツルツルだった。

 

グリップがまったく効かない。

滑るのも当然だった。

 

その日は、いつも以上に足で床をつかもうとしていたのだと思う。

自然ではない力が入っていた。

 

それでも何とかその場を切り抜けて、帰った。

翌日、左膝が痛いことに気づいた。

膝を曲げると、ピキンと嫌な痛みが走る。

 

これはまずいと思い、自分でできる範囲の手当をした。

 

すると痛みの半分くらいは取れた。

 

ただ、膝を深く曲げようとすると、やはり痛みが残る。

90度を越えるあたりから、嫌な痛みが出る。

これはしばらく無理をしない方がいいと思った。

 

 

金曜日は特に大きな予定もなかったので、温泉に行って、ゆっくり過ごした。

膝の回復を促すつもりだった。

 

土曜日には、ディエゴとアルダナのプライベートレッスンが入っていた。

 

できれば、それまでに少しでも状態を上向かせたかった。

 

だから負荷のかかる動きは避けた。

運動も体操もしない。

 

仕事だけをして、できるだけ膝に余計なことをしないようにした。

すると夕方、アルダナから連絡があった。

 

仕事の都合で、レッスンをキャンセルしたいとのことだった。

残念ではあった。

 

けれど、どこかで少し納得もした。

 

これは、今は無理をしない方がいいということなのかもしれない。

そう思って、そのまま受け入れた。

 

 

日曜日は、彼らのショーがあった。

 

 

それは楽しみにしていたので、踊りに出かけた。

膝の状態は、正直、金曜日からあまり変わっていなかった。

 

 

曲げると痛い。

深く曲げようとすると、まだ嫌な痛みがある。

 

だからその日は、左足にあまり重心をかけないように踊ろうと思っていた。

 

無理はしない。

そう決めていた。

 

 

ところが、その会場はショーのためにかなり広いスペースが取られていた。

 

踊り始めると、思った以上に気持ちよく動けた。

気づけば、自分の左膝のことを少し忘れていた。

それなりに激しく踊っていた。

 

というより、だいぶ調子に乗っていたのだと思う。

 

一緒にいた友達から、

「あなた、ショーじゃないんだから」

 

と言われた。

 

さらに、

「デモしてるわけじゃないんだから」

とも言われた。

 

たしかに、その通りである。

こちらはただの一般参加者である。

しかも、膝が痛いはずの人間である。

 

それなのに、なぜか広い床を見ると、身体が勝手に張り切ってしまう。

困ったものだ。

 

 

一度だけ、左膝にピキンと痛みが走った。

その時は、さすがにこれはいけないと思った。

 

そこからは無理な動きは避けた。

それでも、休み休みではあるが、3、4時間ほど踊り続けた。

 

 

帰り道、ふと気づいた。

左膝の痛みが消えていた。

 

これは、アドレナリンやドーパミンのせいだろうと思った。

踊って興奮しているから、今だけ痛みを感じていないだけだろう。

 

明日になれば、また痛みは戻ってくる。

そう思っていた。

 

けれど、今日になっても特に問題がない。

膝も普通に曲がる。

 

曲げても、今のところ痛みは出ていない。

もちろん、無理をするつもりはない。

 

しばらくは気をつけながら身体を使うつもりだ。

 

 

それにしても、不思議なものだと思う。

滑るシューズで踊って、膝を痛めた。

 

その膝の痛みが、またタンゴを踊ることで消えた。

 

休ませることで戻ることもあれば、動かすことで戻ることもある。

 

タンゴで膝の痛みが治る。

 

そんなことを簡単に言うつもりはない。

ただ、少なくとも私の身体には、そういう不思議なことが起きた。

魔女の宅急便を、IMAXで観た

昨日、『魔女の宅急便』の4KリマスターをIMAXで観た。

圧倒的な映像美だった。

そして、あらためてストーリーテリングのすごさに驚いた。

子どもの頃に観た映画が、まったく違う形で自分の心に響いた。

そのことに、少し驚いた。

去年、映画館で観た映画の中で一番よかったのは、『もののけ姫』の4KリマスターIMAX版だった。

あれは本当に素晴らしかった。

そして今年は、おそらく『魔女の宅急便』になると思う。

37年前の映画である。

それをIMAXで観ている。

にもかかわらず、まったく古さを感じなかった。

むしろ、今の映画よりもずっと新鮮に感じる瞬間があった。

説教臭いメッセージがない。

わかりやすい正解を押しつけてこない。

大きな声で感動させようとしない。

ただ、映像がある。

街がある。

風がある。

人がいる。

そして、いくつもの会話がある。

その一つひとつが、淡々と心に入ってくる。

映画とは、本来こういうものなのではないかと思った。

観ている時間は、あっという間だった。

けれど、とても幸福な時間だった。

キキが空を飛ぶ。

知らない街で暮らす。

少しずつ傷つく。

少しずつ人と出会う。

自分の力を見失う。

それでも、また飛ぼうとする。

その姿を見ていると、子どもの頃とはまったく違う場所に響いてくる。

これは、子どものためだけの映画ではない。

むしろ、大人になってから観るほど、深く届く映画なのかもしれない。

この映画には、静かなものが刻まれている。

働くこと。

独り立ちすること。

人に助けられること。

自分の力を失うこと。

もう一度、自分の感覚を取り戻すこと。

そういう、人が生きていく上で避けられないことが、あの映画の中には静かに入っている。

映画が終わったあと、少し席を立ちたくなかった。

あの街の風の中に、もう少しだけいたかった。

37年前の映画を、2026年にIMAXで観る。

それだけで、少し不思議な体験だった。

夏至の夜に、三人で

昨日、旧友と久しぶりに再会した。

20代の頃にロンドンで夢を語り合ったゴウくん。

そのゴウくんの紹介で知り合った、カリスマ美容師のウエダくん。

 

外苑前で三人で飲んだ。

といっても、こちらは車だったのでノンアルコールだったけれど。

 

 

ウエダくんには、ゴウくんの紹介以来ずっと、毎月髪を切ってもらっている。

長い付き合いだ。

それでも、三人で語り合う機会はほとんどなかった。

 

20年ぶりくらいかもしれない。

一度、30代の頃にウエダくんとたまたま同時期にロンドンにいて、三人で飲んだ記憶がある。それ以来だ。

 

 

ゴウくんとは、一緒にトルコへ行ったり、ロンドンに行くたびに泊めてもらったりする仲だ。

 

彼は大阪で美容師として成功してからロンドンにやってきて、その頃に知り合った。

私はその後、日本に戻って、カメラマンになり、オンライン英会話スクールを経営し、今はカラダナオルをやっている。

 

ゴウくんはロンドンでヘアアーティストとして成功した後、8年前にアーティストに転じ、今は和紙を使ったメガネを作っている。

 

三者三様の人生だ。

 

一番安定しているのはウエダくんだ。

ゴウくんも、ロンドンでの成功をそのまま続ければ、いくらでも安定した道があったはずだ。

 

それでも、その道を選ばなかった。

そういう自分も、安定とはほど遠いところにいる。

いまだに、来月どういう生活をしているかもわからない。

そうありたいというより、結果そうなってしまった、という感じだ。

 

なぜか今は、千葉の田舎にいる。

自家栽培の畑がある、9DKのだだっ広い家で、妻と義父と暮らしている。

1年前までは、中目黒の快適なマンションにいたのに。

人生、わからない。

 

三人で語り合って、一つだけ意見が一致したことがある。

日本は、本当に最高の国だ、ということ。

 

毎年ハワイに行っていたウエダくん。

世界中のリゾートを巡るゴウくん。

70カ国以上を旅した私。

その三人が一致したのだから、たぶん事実なのだろう。

 

昨日は、奇しくも夏至だった。

一年で一番、昼が長い日。

今度いつ三人で集まれるかはわからない。

 

それが、そう遠くない未来であればいいと思う。

書き続けるということについて。

note.com

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地味にnoteでまた書き始めた。

施術ブログだが、ネタは尽きない。

 

ほぼ毎日更新しているが、いつまで続くか自分でもわからない。

 

思えば2004年からこちらのブログは続けているので、我ながら気が長い。

何事も継続は大事だ。

 

AIがどれだけ優秀になっても、これからも書き続けること自体はやめないだろう。

 

 

だから、何?という核弾頭。

「だから何?」という言葉は、核弾頭ということに今日気がついた。

 

何かというと、例えばあなたが今一番興味を持っていること、あるいは取り組んでいるプロジェクトがあるとしよう。


それについて、友人、パートナーあるいは仕事仲間などに対して熱く語る、そして相手は一通り、話を聞いた後、こう言い放つ。

 

「だから、何?」と。

 

もう、これだけで人間関係を終わらせることができる強烈な言葉だ。

 

言葉というものは本人がどういう意思で発したものであれ、結局のところ受け取る方がどう受け取るかで意味合いが変わる。


だからこそ、言葉の定義というものは大事で、こういう文章を書くときや人前で話すときは、よく事前にどういう意図で「その言葉」を使うか定義する。

 

それでも誤解はつきものだ。

 

というか、言葉という性質上、誤解は避けられない。
だからこそ、人は言葉で表現できないものを表現するために芸術という分野を生んだ。

 

文学ですら、言葉そのもので表現しているわけではなく、言葉から想起される感情は情景を頼りに、伝えたいことを伝える。

 

言葉にした時点で虚偽である。

 

言葉と実際に伝えたいことの間には断絶があり、それを知らず知らずのうちに人を傷つけてします。


それが起因となって、病になってしまう人もいるかもしれない。

 

だからこそ自戒を込めて思う。
「だから何?」は使うべき場所を間違えるとあたりを焼き払う核弾頭だなと。

人生の一大イベント、ついに始まる。

それはたまたま昨日休みで、お義父さんが自分の予定を入れているホワイトボードに「草刈り」と書いてあったので、妻と二人で参加したことから始まった。

 

 

妻は前回も参加していたので、3人中1人だけ参加しないのも気まずいのでやる気を出して参加した。参加したからには一生懸命やらないと何を言われるかわからないし、ただでさえ192cmもあるので目立つ。

 

そこは気合を入れて草を刈った。

 

 

それを見たのか、草刈りの最中にお義父さんから「氏子にならないか?」という誘いを受けた。最盛期は結構な数の氏子がいたらしいが、今は14世帯のみ。先行きは真っ暗ではある。

 

 

ただ敷地の隣にある神社なので、雑に扱うわけにはいかないので、二つ返事で承諾した。神社の正式に始まる新年度は7月15日の宮薙の日とのことで、その日から正式に氏子生活が始まる。

 

主な行事は、年に3回ある草刈りというあまり心躍らない行事だが、致し方ない。お義父さんが最年長だが、他は70代の方々で、60代はゼロ、50代は1世帯のみというなかなかの陣容だ。

 

お義父さんは総総代という立場で、最も偉い立場だが、気苦労は絶えない。先代が認知症で入院して、10数年放置されていたのが、ついに90代でお亡くなりになり、その後を継いだのがお義父さんだ。(もちろん、嫌々だが。)

 

 

新しく参加する自分たちを入れて15世帯しか所属しない神社にしては立派な社殿が建っている。元々は神社が所有する山を1億円で売って、そのお金で8000万円をかけて20年ほど前に社殿を建て替えたらしい。

 

残り2000万の貯金はどんどんと消えて風前の灯火なので、お義父さんが保険、ガス、水道、電気などを見直して、とりあえずはあと20年くらいは持つように会計を処理した。

 

田舎の神社はどこも大変だ。

 

我々は待望の新戦力といったところなので、なるべくこの草刈りには参加したいとは思っている。7月15日はマストで参加だろう。

 

去年までは「やれタンゴ、海外」などとやっていたが、もはや草刈りがマストな人生の一大イベントとなってしまった。

 

それでも車で10分のところに源泉掛け流しのある日帰り温泉があり、週3回ほど通うことができているこの生活はなかなか捨てがたい。

 

地域復興とまではいかないだろうが、神社存続目指して、夫婦で気合を入れて草刈りをしていく所存ではある。