Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ユウキくん、盲腸からの完全復活:ブエノスアイレスにて

この2、3日は激動の日々だった。

ブエノスアイレス到着直後からユウキくんは腹痛に悩まされており、本人は食中毒だと思うと言っていた。また「アルゼンチンのご飯がこんなに不味いとは想像してませんでした。」とのことで、ろくなものを食べていなかった。

 

だったら、何かお腹に優しいものをユウキくんに作ろうと思い、近所の肉屋でモモ肉を丸ごと買って、白湯スープを作った。それでも半分余ったので、オープンで丸焼きをした。

(この時はことの重大さを二人ともよく分かっていなかった。)

最初は雑炊でもしようと思っていたが、ブエノスアイレスに着いてからまともに食べていなかったユウキくんは、ぱくぱくと丸ごとチキンを食べてしまった。

(曰く、今までブエノスアイレスで食べた食事の中で一番美味しいとのことだ。アルゼンチンは素材は素晴らしいのに、初歩的な料理テクニックを知らない人が多い・・・・残念だ。)

 

その後、カラダナオルなど色々と試して、一時的には痛みは引いた。しかし、その日に最後に行ったミロンガで、ユウキくんの腹痛が再び始まり、その時ふと「ユウキくん、それ盲腸だと思うよ。」残酷にも告げて、翌日の朝まだ痛みがあるようだったら、病院に行こうと言った。

 

実際、盲腸だったら二人としては大問題だった。週明けの月曜日朝8時の飛行機でワインで有名なメンドーサに向かうことになっていたからだ。(ちなみに盲腸だと告げた日は土曜日の深夜3時過ぎだ・・・・あの時のユウキくんの絶句した顔が忘れられない。)

 

日曜日の朝8時にユウキくんに連絡をして、まだ痛みがあることを確認した。それからどのような形で病院に行くのがベストか考えた。とにかくアルゼンチンは何をするにも待ち時間が長い。だから、それを飛ばせる救急車を呼ぶことを思いついた。自分の携帯ではローカルの電話番号はかからず、アルゼンチン人の友達マウロに頼んだ。

 

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しかし、なぜか警察が来てしまい、その警察官に「盲腸だと思うから、救急車を呼んでくれ!」と頼んだ。運よく親身になってくれた警察官は実際に救急車を呼ぶよう交渉したが、「命に別状ない場合は救急車を派遣することはできない。」と無情にも宣告された。

 

仕方なく、近所の病院に行くことになったが、歩いて数分のところにスイスメディカルという私立病院があったので対応が良さげなので歩いて行ってみた。

 

あれよあれよという間に血液検査、エコー検査まで漕ぎつけた。その日がアルゼンチンの長い連休の中日で、さらに日曜日だったので、来院者が極端に少なかったのも功を奏した。

 

担当した若い女性の内科医は「盲腸だったら、お腹全体に痛みが広がり、さらに背中まで痛みがあるはずだから、絶対に盲腸ではないから安心して!」と言われた。血液検査の結果が出るまで2時間かかると言われたので、とりあえず歩いて滞在先のマンションへと帰った。

 

(内科医の診断を鵜呑みにして、すっかり油断しているユウキくん・・・・自分の見立てがこの時ほど外れて欲しいと思ったことは人生にない。盲腸だとしたら全ての予定がパーだからだ。メンドーサのあとバリローチェまでの飛行機と宿泊先をすでに予約していたからだ。)

エコーの診断書が専門用語満載でイマイチ意味を掴みかねたので、受付の人に「この診断書の意味は結局はどういうこと?」と訊いてみた。そしたら、「それが俺に分かったら、受付なんかしてないで医者として、勤務しているよ!」と言われて、なるほどと思って引き下がった。

 

信頼できるスペイン語ネイティブのマウロとイグナシオにエコーの診断結果を意味を問うと、マウロは「盲腸の疑いがあるから、更なる検査が必要」と言い、イグナシオは「なんの心配もない。ただの腹痛だ」と言った。

(医者の診断書というものはそれだけ曖昧な表現に終始しているのだろう。)

 

もう一度、若い女性の内科医のところに行って血液検査の結果を聞きに行った。血液検査は問題なかったが、念の為に断層検査が必要だと言われた。ただその前に外科医の触診を受けて意見を聞いた方がいいとのことだった。この時も彼女は「盲腸ではない!」と断言していたので、二人で安心しきっていた。

 

そして、しばらく待って今度は若い男性の外科医の触診を受けると、「うん、これは絶対盲腸!間違いない。他の検査も必要かもしれないが、確実に盲腸だと思う。」と言われた。

 

おいおい!もうすでに病院を最初に訪れてから3、4時間経過していた。外科医が触って瞬殺で「盲腸」と断定できるのに、一体何のためにこんなに時間をかけて検査をしたのだろうか。

 

この若い男性の外科医曰く、「この病院だったら、すぐに手術できるし費用もかからない。」と言われて最初はぬか喜びした。しかし、それはスイスメディカルの保険に入っている方々のみの待遇で、ユウキくんには適用されないことがわかってがっかりした。

 

その後、経理担当者のおばさんが、「外国人が手術を受けるときの費用計算など今までしたことがないので、その計算にいつまでかかるかわからない。その間に盲腸はどんどん悪くなるから、公立病院に行ってすぐに手術を受けた方がいい。」と言われた。

 

要は自分たちの仕事を増やすな、盲腸ぐらいとっとと公立病院で手術をしろ、どうせ無料なんだからという言い草だ。海外保険に入っているユウキくんとしては、スイスメディカルで手術を受けても無料なのだから、せっかくならこの病院で受けさせたかった。

 

しかし、このおばさんはテコでも動かなさそうだった。だから、評判のいい近所の公立病院に行って、それでも今日中に手術できないのであれば、またスイスメディカルに戻ることにした。(ちなみにこのおばさん、「私だったら、サンフェルナンデスという公立病院を勧めるわ。逆の立場だったら、私ならサンフェルナンデスに行くし。」と言いのけた。なんだか論理的に破綻しているが、素直におばさんの忠告に従った。)

 

タクシーを飛ばして、そのサンフェルナンデスという病院に行き、緊急外来に行った。緊急なのに、おじいちゃんが一人待っており、受付には誰もいなかった。そのおじいちゃんにどれくらい待っているか聞いたら、「10分くらいだ、緊急外来なのにこの体たらくぶりだ、これが公立病院のクオリティだ。」と嘆いていた。

 

不安しか感じなかったが、待っている人がそのおじいちゃんだけでしばらくすると受付が戻り、状況を説明した。スイスメディカルのエコー診断書も持参しており、すぐに部屋に通された。そこでも若い外科医の男性に触診され「うん、これは絶対に盲腸だ。今日中に施術する。」と診断された。

 

外科医からすれば明らかに盲腸なのに・・・・全く無駄な時間をかけてしまった。しかし、あっさりその日の3時間後に手術できることになり、一安心した。

 

手術自体は問題なく終わり、医者とも話してなんの問題もなかったことを確認した。ただし、48時間は絶対安静ということになり、火曜日の朝に退院することになった。

ユウキくんには入院中はなるべく絶食して、消化器官を休めるようにアドバイスした。そして、日本から持参したレトルトのお粥と豚汁を作って絶食からの回復食とした。

 

(テラスですっかり寛ぐユウキくん。入院中に今にも死にそうなおじいちゃんが同室となり、夜中ずっと看護師を呼びつけろくに寝られなかったそうだ。やはりアルゼンチンの公立病院に入院するのはきつい。)

 

2日間ほとんど運動しなかったので、多少の運動をかねて、自分が滞在しているパレルモ地区を案内した。(退院後、さすがにユウキくんを一人にするのも心配なので、自分が滞在しているマンションに泊まってもらうことにした。)

 

パレルモの中心地、セラーノ広場にて。)

(歩いていたら、たまたまタンゴの聖地La Virutaにと通りかったので写真を撮った。)

(アルゼンチンで数少ない美味しいものの一つ、ジェラートを食べた。やはり美味い!)

(アルゼンチンでは基本的にコーヒーが全て不味い。だから、行きつけだったMalvónというカフェに案内した。安定のクオリティだ。)

(まだアルゼンチンで肉を食べていないユウキくんのためにハラミステーキを作った。)

 

アルゼンチンの牛肉は基本的にグラスフェッドな肉でとても良質な肉だ。しかし、肉を食べに行って、「レアで。」と頼んでも大体丸焦げだ。肉に恨みでもあるのだろうかと思うくらい焦がしてしまう。せっかくの良質な肉が台無しになるので、自宅で肉をレアで焼いて、日本から大量に持ち込んできた調味料で味わうのが最高だ。

そんなこんなですっかり日が暮れた。

念願のアルゼンチンの肉も食べてすっかり調子を取り戻したユウキくんと一緒にミロンガに行った。

あまり無理をさせたくなかったが、地獄のような二日間を過ごしたので、それくらいは大目に見ようと思った。あまり捻ると怖いので、自重してもらうようにはした。

 

2、3年過ごしたアルゼンチンで病院のお世話になることなど一度もなかったが、滞在1週間で公立病院送りになるユウキくん・・・・ある意味何かを持ってはいる。

 

ただまだまだ予断は許さないので、ゆっくり回復を待ちながら、ブエノスアイレスで過ごすことにした。自分は2週間の日程なので、行けたら他の都市にも行きたいが、あまり無理することもない。

 

旅は道連れ、世は情け・・・・よくわからないが、瞬間瞬間ベストと思うことをすれば、より良い結果に繋がるだろう・・・・多分ね。