以前アゴラに「待ち遠しくなる月曜日のために:企業のあり方について」を寄稿したが、ここブエノスアイレスは日曜日には店も閉まり、通りに人もいなくなり、とたんに淋しい街となる。
だから、日曜日に「淋しくて」という理由で自殺者が増えるという・・・・都市伝説かもしれないが。
ラテンの人たちの週末にかけるエネルギーは膨大なもので、そのエネルギーが去った後の日曜日はたしかに、どこか死の匂いがするのかもしれない。
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相変わらず「日本の財政破綻」論はあとを経たないし、アベノミクスの最終的な狙いはハイパーインフレを起こして、1000兆円にもなる財政赤字をチャラにしようとしていることを考えると、それも仕方がないとは思う。
10年に1度の頻度で財政破綻が起こり、去年もめでたく(?)デフォルトしたアルゼンチンにいると、べつにそれがたいしたことではないような気もしてくる。2001年の財政破綻では大きな痛手を被ったが、それはドルペッグ制のせいで輸入に頼り切りになり、そのせいで国内産業が壊滅的な影響を受けたことによる。
輸入したほうが安上がりならば、国内で産業が育つ理由がない。そして、ドルペッグ制を止めるときに銀行封鎖を行い、人々の貯金が数分の一になったことで大パニックに陥ったが、今回のデフォルトではそんなこともなく人々はいたって平静だ。
街のレストランは多くの人で賑わっているし、スーパーも一部の商品を除き、普通に売られている。2001年以来、人々は銀行を信用しておらず、みんな家でタンス貯金をしている。また銀行の口座に預けるよりは、銀行の貸し金庫のほうがより安全ということもあり、貸し金庫を借りるためにみんな大金を払っている。
アルゼンチンの銀行に勤めている友人も「ウルグアイの銀行のほうがより安全」と言って、自分の銀行にびた一文お金を預けることはない。「信用する」ということは、それはすたわちリスクを負うということもあり、彼らのリスク管理はかなり徹底している。
それでも彼らは「アルゼンチンは最高の国」と思っており、政治や経済については文句ばかり言うが、なぜか自国のことを誇らしく思っている。さらになぜか肉を焼くことしか出来ないアルゼンチン料理を「世界最高の料理」と自負している。たぶん、子供の頃から肉しか食べていないから、味覚がおかしくなっているのだろう。
そんな色々な矛盾を抱えた彼らを見ていると、「無知でいることによる幸せ」を思うことがある。とてもシニカルな見方かもしれないが、別に彼らがそれで幸せであれば、それでいいのではと最近思う。
日本でも汚職が後を絶たないが、アルゼンチンでは副大統領自ら貨幣の原版を持ちだして、不正に紙幣を刷りまくって利益を得るというウルトラCを繰り出す国だ。これはなんというか汚職という次元を超えている。日本人はもしかしたら、あまりにネガティブになり過ぎているのではないだろうか?
日本の副首相、あるいは官房長官あたりが貨幣の原版を持ちだして、お金を刷りまくることを想像して欲しい・・・・・我々の国は少なくても、正常に機能しており、そのようなことが起こる可能性すら想像出来ない。
あるいは大阪の橋本市長がヤクザに命令して、自分の政治に文句を言った学生43名の殺人を依頼することを想像して欲しい。
そんなことが日本で起こることを想像するのも難しいが、これも実際にメキシコで起こった事件だ。ドラマや映画ですら、そんな雑な脚本は却下されるだろう。
だが、これが世界の現実だ。
「耐える」ということに圧倒的な強みを発揮する日本人が、安易にどんどんと価格を釣り上げてハイパーインフレを引き起こすことが出来るのだろうか?ここアルゼンチンでは、「ちょっと試しに値上げをして、それでも買うか試してみようか」という感じでどんどんと物価は上がっている。
あらゆることに対して準備を怠るべきではないとは思う。 でも、この財政破綻した国で過ごしていると、もっと楽な生き方もあるのかもしれないと思ってしまう。
自分の将来や仕事のストレスで自殺する国より、「淋しいから」という理由で自殺する国のほうが、なんとなく幸せな気もする、そんなことを思ったブエノスアイレスの日曜日だ。