昔自分が撮った何気ないスナップ写真を見ていると、どうしようもなく淋しくなるときがある。そこにあった情熱が今の自分にはないからだ。
正確に言うと、そのときある種の熱を持って撮っていたのに、その熱のようなものが欠落している。写真に対してなのか、あるいはもっと別なものに対してかは分からない。
新しいことが起きなくなった。
年を取るとともに物事に対して、リアクションするのがうまくなってくる。
またリアクションするべき事柄も多くなってくる。
しかし、そうなってくると今度は自分で何か新しくやろうという意欲がなくなってくる。
リアクションするだけで気持ちも心も手一杯だからだ。
どうありたいのか真剣に考えないと、これから先は通用しなくなってしまうだろう。
問題に対処することはそれほど難しくないが、自分で課題を見つけてそれに対して取り組むのは多大の努力と決意が必要だ。
新しいことはけっして起きない。
自分で起こさないといけない。
日常生活は麻薬みたいなものだ。
最初は誰もが夢や希望を持って社会に飛び出す。
でも、それだけではどうにもならない。
そして、いつしか現実ばかりに対処するようになり、自分自身の大切な何かを置き忘れてしまう。
本来は、自分自身にしかできないことは何かと真剣に考えて、死ぬまでになんらかの回答を得ることが人の道なのだろう。
そんな悠長なことを考えている場合ではないのかもしれない。
だが、過去の写真を見ると痛烈に痛みを感じる。
そこにあった何かを取り戻したいと思う。
いや、取り戻す必要はない。
また新たに生み出す必要があるだけだ。