旅に出かける前の雰囲気が好きだ。 同じ日常の風景が違って見えるから、不思議なものだ。
航空券を買った時は、本当にその国に行くのかどうか半信半疑だが、旅の直前になると不思議と周りの空気が変わり、自分のなかでまた異国へと行く準備が出来ているのを感じる。
異国から異国へと。 いつからか、そんな旅が増えた。
ブエノスアイレスに住んでいる時も、ここメキシコシティに住んでいる時もそうだが、「永住するつもりなのか?」とよく訊かれる。
そんなことは考えたことはない。自分のアンテナが向くまま、ふらりと他所の国行って住むのが好きなだけだ。仕事のことはあとから考える。まずは自分の人生ありきだ。
よって、来年の今頃、また違い国に住んでいることも考えられる。 思えば、スコットランドの首都エディンバラに2年、ロンドンに2年近く、そしてブエノスアイレスにも2年と一つの国に2年以上住んだことはない。メキシコは例外になるかもしれないが、これからが楽しみだ。
そもそもこれからが楽しみではない人生なんて、どこか間違っている。
このあいだボリビア人の弁護士と英文の契約書についてスペイン語で相談した。思えば、遠くへ来たものだ。ブエノスアイレスに行った頃は、挨拶程度しか出来なかったのに、込み入った要件をスペイン語で話せるようになった。
ブエノスアイレスではスペイン語を身に付け、そしてタンゴを習った。ここメキシコではサルサを身に付け、スペイン語を活かして現地の人たち向けに色々と仕掛けていきたいと考えている。自分が満足出来る結果が出るまでは、この土地から去ることもないだろう。
人から見ると行き当たりばったりな人生に見えるが、自分のなかでは常に一貫した哲学と思想がある。それに従って生きているだけだ。そのときに自分が見える一番遠くの光景までその国で見ることが出来れば、また違う土地へと旅立つかもしれない。
成長と変化こそ自分の人生で最も望んでいるものであり、そのために付属するものはすべてその目的のための手段でしか過ぎない。言ってしまえば、人生ですら手段のひとつだ。常にその先にあるものにしか興味がない。
人はよく豊富な海外経験によって、このような考え方をするようになったのかと思うらしいが、子供の頃から特に変わっていない。常に自分は異邦人であることを意識していたから、自分が本当に異国の土地で異邦人と暮らすことでずいぶんと開放された。
自分にはまだたくさんできる事があると思うし、ほかの人に伝えたいと思うこともある。その10分の1でも成し遂げられたら幸運だろう。人より多くの人を信用したいと思うし、その分多くの人に裏切られるだろうと思う。
そうなれば、もっともっと多くの人と知り合い、彼らを信用すれば、もっと多くの人たちのために役に立てるかもしれない。
過去のことはすべて水に流し、これからのことだけを考えいきたい。