Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

外国人とコミュニケーションを成立するためにすべきこと

アルゼンチン、ひいては今住んでいるメキシコにいると、自然と日本人は自分一人という状況になる。特にここメキシコではメキシコ人ばかりのなかで生活しているので、ほぼ周りは100%メキシコ人だ。

ブエノスアイレスの場合は、一番の親友がアメリカ人のマイクなので、自然とかなりコスモポリタンな感じだったが、ここメキシコでは違う。

そんななかでいつも思うのは、自分のなかにいかに彼らと共通のコンテンツを持てるかということだ。

スペイン語はもちろん重要だが、生きてきた環境も常識、教育もすべて違う。そんななかで「話が合う」という状況まで持っていくのはとても難しい。

いつも言っているが、言語はあくまでコミュニケーションの一つのツールであって、コミュニケーションそのものを成立させるには、そのコンテンツが何よりも重要となる。

プエルトバジャルタ

コンテンツというと分かりづらいが、言い換えれば「共通の話題」だ。

ビジネスを一緒にしている場合はその話題で乗り切れるかもしれないが、そうでない場合、外国人との会話に困る日本人は案外多いのではないだろうか?

「ボールは友だち」ではないが、そのようなことを意識して、30歳過ぎてテニスを始めて、言葉が通じないところへ行っても、なにか一緒に出来ることを意識的に作る努力をしてきた。そして、36歳のときにブエノスアイレスへと赴き、スペイン語とタンゴを身に付けた。

スペイン語は当然のこととして、べつになんの思惑もなく始めたタンゴが、意外とコンテンツとしての威力が強力であることに今更気付いた。タンゴコミュニティはすごく狭く、ブダペストのタンゴフェスティバルで会った人とたまたまブエノスアイレスで再会することもあるくらいだ。

そんな自分が知らなかった世界を知ることはとても楽しい。

先進諸国に生まれたというだけで強烈な恩恵を受けていることをこの貧富の差が大きいメキシコでは痛感する。そして、それとともに、彼らと自分たちの間にはどうしようもなく大きな溝があり、その溝はどんなに言葉が上達しても中々埋められない。 (そういう意味では、メキシコに来てすぐにメキシコ人の親友を作れたことはとても幸運だった)

これからの人生はまだ長い。 そのなかでどれだけ彼らとコミュニケーションが成立させられるコンテンツを増やしていくか。

それが自分の人生にとってとても重要な課題だ。 これからもうひとつ、ふたつ言語を習得することは可能だろうし、タンゴに匹敵するような強力なコンテンツを獲得することも可能だと思っている。

人生80年とすると、ようやくやっと折り返し地点に到達したに過ぎない。 それを思うと気が遠くなるが、自分が自分の人生に退屈しないためには、ずっと自己変革していかないといけない。

そして、それをどう社会的に還元していくかが大きな課題だ。 先は長い。