今年の1月から3月までブエノスアイレスに滞在し、それからメキシコに行って二ヶ月滞在してから日本に行き、二ヶ月いた。だから、今年は今のところブエノスアイレスに滞在している期間が一番長くなる。
とはいっても、まだ合計3ヶ月しか過ごしてはいない。 だから、この地で会う人に「どこに住んでいるのか?」と訊かれると、返答に困る。
一番正しい答えは「どこにも住んでいない」だが、それだと相手も困るので、「今年はブエノスアイレスに滞在している期間が一番長い」という曖昧な回答をしている。
9月にはまた日本に戻る予定だが、そのあとの予定はとても漠然としている。「日本に住みたいか?」と訊かれたら、「NO」と答えるかもしれない。ただ、常に「行きたい国」は日本だ。
だからといってブエノスアイレスにずっと住むのも、それほど魅力的な話ではもはやない。
色々な国や土地で住んでみて思ったのは、別に住む場所自体はそれほど重要ではないということだ。その国、その土地に長所や短所、特色があり、価値観が違い、話す言葉も違う。
本当にそれだけのことなのだ、客観的な事実としては。
それを自分自身のフィルターを通して、どのように解釈して、経験を咀嚼するかが個人の人生にとっては重要なのだろう。
自分のやり方はなるべく現地の人に寄り添い、彼らの価値観、文化それに言葉を理解することだけど、別にそれが特別優れている方法とは思っていない。どんなに言葉が上達しても、彼らの一員になることはけっしてないし、それを特別望んでいるわけでもない。
「世界の見方」をなるべく多く取得したいと思っているし、それになんだかよその土地に、信頼のおける友人が一人、二人いるだけで、自分の世界は明るくなる。
たいしたことではない。 個人の人生の大半がそうであるように、本当にたいしたことではない。
でも、きっとそうして、世界中の個人と個人が繋がることで、これから先なにか新しい未来が開けてくるのではないかと思っている。