Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ただひたすら前へと進むということ:悲しみの瞬間の乗り越え方

人生で思い出す瞬間はたいてい悲しみの瞬間だ。
悔恨や後悔、それに羞恥の混ざった瞬間たち、それらを時々思い出しては胸が痛む。

それに反して、楽しかった瞬間というものは覚えていない。固まりとして、ひとつの時として記憶に残っているが、強烈に楽しかった瞬間というものは幼児の頃まで遡らないと、思い出せない。別に人生に楽しいことがなかったというわけではない。単純に楽しい時間というものは「時」という全体、ひとつの人生のピリオドであり、刹那的な瞬間ではないと思うから。

ひとつ自分に言い聞かせていることは、「今は自分の人生にとって一番いいとき」だということだ。辛かったときも後悔があったときもあるが、それでもそう思うようにしている。

今の楽しさを担保に将来の楽しさが保証されるわけではないが、今が楽しくなければ将来楽しくなる可能性はかなり低い。人生において、自分が生きる環境は自分で選択できる。そのことに自覚的である限り、人は人生を楽しむチャンスがある。どのような状況においても、楽しさというものは探せばあるはずだ。

これからどんどん周りの環境は変わり、また自分自身にも変化が訪れるだろう。厳しい環境に身を置いても、今のような冷静さを失うことなく、今の自分にたいして期待せず、淡々と物事をやり過ごすこと、それが一刻一刻と変わる状況に対応できる唯一の手段だと自覚している。

保証されているものなどなく、変わらないものなどない。

人間関係だったり、仕事だったり、住む土地だったり、自分の考え方だったり、人は一刻一刻と変わっていく。ずいぶん時間が経った後に、人はそのような大きな変化について驚くほど、人は日々の変化については無自覚であり、注意を怠っている。

人生のたいていのことにはあまり意味はないが、結果という現実がある。その意味を問うことは無意味だし、人生においての結果にはしばしばその原因すら判別出来ないことがある。だから、あるがままを受け入れるしかないし、先に進むことしか残された選択肢はない。

そこまで考えると、けっこう気楽になって、人は好きなように生きることが出来る。結局のところ、いかに楽しんでいくかということを戦略的に考え、失敗に頓着せずに、取れるリスクは取って、自分が好きなことをやりたい状況を作っていく、それが自分の生き方だと思う。これまでも、これからも、そうありたい。