ブエノスアイレス深夜2時半。
イグナシオが日本にいる自分に電話をかけてきた。
休みの日だったので、家でちょうどブログでも書こうと思っていた時だった。
「昨日、彼女と別れたよ。彼女は嫉妬深くて、おれの過去のFBにいいね!をした女性にも嫉妬するんだ。」と語った。去年、ブエノスアイレスに行った時も彼女の嫉妬深さを聞いていたので、別れるのも時間の問題だと思っていたが案の定だった。
人の別れ話って当人たち以外では、本当にどうでもいいことだなと身に沁みて実感しながら、話半分で聞いていた。
最近、「プルーフオブヘブン」という本を読んだ。脳神経外科医としてハーバード大学などで教えていたエベン氏がウイルス性の髄膜炎となり、7日のあいだ昏睡状態に陥った。その時に超絶な世界を体験し、致死率97%の状態から奇跡的な帰還を果たした実話だ。
(ほぼ同じ体験 というアマゾンレビューの方にその体験の内容は詳しい。個人的に感銘を受けたのは、このレビューした方が「(例え)自分を殺した人であっても、ここに入らないようなことにはならないで欲しい、心の底からあなたもこっちに来て皆で幸せに暮らそうという世界。確実に人生を明るく照らします。」と語っていることだ。)
特に彼が定義した悪の定義が刺さった。
曰く、地球が他の惑星よりも多くの悪が存在するのは、自由意思を経験するためとのことだ。他の惑星は善と愛に溢れているが、地球はどちらにも転ぶことができるように悪も混在しているとのことだ。
古今東西、語られてきた人間は性善説か性悪説の解が、ここにあった!
人間は他の人にとってプラスの存在にもマイナスの存在にもなれるように、あらかじめ自由意思を持たせられていたということだ。
どんなに悪事を働こうが、また歓喜の世界に一度は戻れるかもしれないが、それを繰り返すともうチャンスは与えられなかったりするのだろうな、と勝手に想像したりする。
また仏陀が説くように、畜生界や餓鬼界に飛ばされるのかもしれない。ただ、やはり物事には因果応報の法則があるので、いずれにせよ自分が蒔いた種は自分で刈り取ることになるだろう。
そして最大の発見は、エベン氏の脳が機能をほぼ完全停止している時に、彼はその超絶世界を体験したので、意識と脳は全く無関係と主張していることだ。
なんとなく脳の延長に意識があると我々は思い込まされているが、実際は違うのだと言う。これを知ると、不思議な感覚になるが、納得もできる。
予知夢や過去生を思い出すなどの現象も、意識だけだと時空を離れることが可能なので、それで説明はつく。
(それには脳などを含めた身体は必要ない。むしろ、意識だけが切り離せるから、様々なことが可能となるのだろう。)
線的な時間とは幻想で、全ては同時に存在している・・・・それは最近、とみに実感している。
と、こういうことを考えていると、地球の裏側に住んでいるイグナシオの別れ話も、ある意味尊いものに感じられる。それぞれ我々は各個人の個性的な人生を歩んでいる、そのどれも等しく平等で尊いものだ。
そんな仏陀な気持ちでイグナシオとの電話を切って、ブエノスアイレスよりもエベン氏が体験した世界のことを思い浮かべる。物理的な距離は永遠と思えるほど遠いが、実際はすぐ間近にあるとエベン氏は言う。
確かに地球の裏側に住んでいるイグナシオから電話がかかってきても、遠さは感じない。むしろ、鬱陶しいくらいの近さを感じる。
そういうことだな、と一人勝手に思った次第だ。