Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

後悔がない人生のために:スペイン語を話すということ。

スペイン語の勉強を始めて11ヶ月が経った。

そのうちの10ヶ月はただただ辛かった。しかし、ようやく最近、スペイン語の勉強自体を楽しめるようになってきた。それはひとえに自分のスペイン語のレベルが上がったからだと思う。

またそれとともに、優秀な先生に出会えたことも大きい。今でも4人の先生に週7回スペイン語のレッスンを受けているが、そのなかでもマテアス2号のレッスンのクオリティーは半端ない。(彼からは週三回レッスンを受け、ロレーナ先生週二回、あとは週一回づつだ)

例えば今日のレッスンはこうだ。

1. 宿題の答え合わせ(おもに接続法、前置詞の使い方など文法的な出題が多い)

2. 次回の宿題のための説明(エクササイズを一、二問やって、残りは宿題)

3. 宿題として出された新聞記事の読解に対しての意見を述べる。

4. さらに新聞記事を読み進め、意見を交換する。

これで一時間半の授業はあっという間に過ぎる。ほかの先生たちは2時間のレッスンなのだが、たいてい時間を持て余し、こちらが時間配分についてかなり気を使うぐらいだが、マテアス2号のレッスンに関してはそのような心配は一切ない。

また彼の文法的な説明やスペイン語特有の言い回しについての説明は非常に的確で、「こいつの言うことならばまず間違いない」と思わせる。

ブエノスアイレスに来てからずっと習っているメルセデス先生などの説明はネイティブにも関わらず、「これはちょっと違うのでは?」と思うことも多々あるのだが、彼の場合はそのようなケースは一切ない。

超初心者から中上級者まではかなり順調にレベルアップするが、それから真の上級者になるにはハードルが高い。おそらく、「自分はスペイン語の使い手」であると胸が張れるようになるには、あと一年間ぐらいは費やす必要があるだろう。

初心者に物事を教えるのは簡単だ。だが、彼らが中上級者レベルになると、その彼らをそれ以上のレベルに上げるには、プロ中のプロではないとうまくいかない。だからこそ、真に優秀な先生が必要となる。

もちろん、これは英語学習には同じことが当てはまる。

よく「楽しく英語を勉強しましょう!」などの謳い文句を見かけるが、そのような寝言を言っている業者や会社はすべて潰れてしまえばいい。

本当にあほかと思う。

語学学習というものは、人生がそうであるように大概の場合、苦しみと我慢の連続だ。そして、それを超えればある種の桃源郷が見える。そして、それは見えるだけあって幻想で終わる。語学学習者は終生、「学ぶ人」で終わり、それを極めることは叶わない。そのようなことを自覚してこそ、語学学習の醍醐味がある。

おそらく我々は自分たちが手に入れたいと思っているものを手に入れることはないだろう。だが、だからこそ死ぬほど努力する必要があり、またその価値があるのではないだろうか。

今から一年後、僕は自分が話したいと思えるスペイン語のレベルには到達しているだろう。それでもしかし、どこか不安と不満を抱えながらこのブエノスアイレスで生きて行くのだろう。

完璧さなど求めても無駄だ。ただ願わくば、この苦しみを多くの同じような語学学習者と分かち合い、共有していきたい。

我々は皆、不確かな身分であり、明日の身がどうなるすら分からない。だが、それでもこの大事な自分の時間の大半を費やし、違う言語を勉強している。

多くの間違いを犯し、どうようもない失敗をしでかしているかもしれないが、少なくてもこの一年で費やしたスペイン語の勉強量だけは裏切りたくない。

ただ少なくてもあと一年は自分に時間を与えようと思う。それから、すべてを判断しよう。そうして、これからの楽しみは僕は手に入れ、それを続けていきたい。