風邪を引いた。 風邪を引くと、健康だったときのことがよく思い出せない。
鼻が詰まっているせいで、頭がボーとするし、冷静に物事を考えることができない。 宗教や人の悪意に染まって、テロをする人たちももしかしたら同じような状態なのかもしれない。
風邪というには重度な疾患だが、冷静に物事を考えているつもりでも、彼らに客観性のかけらもないことだけは確かだ。人は悪に対して無防備だし、一度悪に染まるとそこから抜け出すのは至難の技だ。
「なにかを信じる」ということは人にとてつもない快感をもたらす。とくに周りの人間がその考えに共感するならば、なおさらだ。だから宗教はけっしてなくなることはないし、戦争もなくなることはない。
絶対的な正義なんて世の中には存在しない。どちらもちょっとだけ正しく、またちょっとだけ間違えている。
人間はどうしもなく愚かだし、誰かが誰かを正すなんて行為はある意味おこがましい考えでもある。でも、だからといってテロを許していい行為だとは思わない。ただテロを防ぐことはできないし、その報復のために新しい戦争を起こすことはとても愚かなことだと思う。
FACEBOOKのプロフィールをトリコロールに染める人たちがたくさんいる。 そして、それを批判する人たちもたくさんいる。
テロは世界中で起こっており、なにもフランスの人たちだけが不幸のどん底に沈んでいるわけではない。でも、だからといってパリで起こったテロに対して哀悼の意を表することは間違ったことではない。
ただ、いやもしかしたら、どちらかがちょっとだけ間違っているのかもしれない。
人間、結局のところ誰もが少しだけ間違っているものだし、本当に大事なのはその他人の過ちを許容することだと思う。 どちらかが一方的に絶対正しいことなどこの世に存在しない。
争いが起きない世の中にするためには、一人一人が他人に対して寛容になることしかないのではないか・・・・・などと鼻の詰まったボーとした頭で今日1日考えた。
耳障りのいいことだけ言う人間に対して人は懐疑的になるべきだし、自分はいつでも間違っている可能性があると思い、そうして他人には常にやさしくあるべきだ。
憎しみは憎しみか産まないし、暴力によって世界はより良くなることはない。 自爆テロを起こさざる得なかった人たちのことにもきちんと思いを馳せ、プロフィールをトリコロールに染めるだけではなく、これからの世界についてきちんと一人一人が考えるべきだと思う。