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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ストレスについての一考察

「人間のあらゆる不幸はたった一つのことから由来する。それは自分の部屋でじっとしていられないということだ」 パスカル

最近、ストレスについて考えている。
極論すれば、人間のすべてのストレスは人間関係から生じる。ということは、誰にも会わずに、部屋でじっとして過ごせばストレスから開放されるのだろうか?

たぶんそんなシチュエーションでは僕は三日も経てば、発狂する。
ストレスを抱えても、外に出てほかの人間と接したい。これは自然な欲求だ。
しかし、世の中には引きこもりなど部屋に一歩もでない人々もいるにはいる。こういった人々はストレスフリーな生活をしているのではないかと勘ぐりたくなる。が、そんなわけはない。

究極的に、人間は一人では生きてはいけない生き物だ。
引きこもっている人々も、その生活の面倒を見てくれる人がいるから、引きこもりを維持できる生活的な余裕がある。食料を買う金のないほど貧乏な人にとっては、引きこもるなんて優雅な生活に思えるはず。この社会で生活している限り、そのルールにのっとって、生活したほうが楽に生きてはいける。

そのルールとやらが、この人間関係から生じるストレスをますます複雑なものにしている。
元来、100人いれば100通りの考えや個性があるはずだが、人数が増えすぎために便宜上の共通認識が必要になる。それが常識というものだ。

とくに日本の人口は増えすぎた。
その事実が人間の個性を伸ばすことを妨げたことは否めない。最近になって、ようやくゆとり教育なんて言われるようになったが、僕が小学生の頃は給食を残すぐらいで机の上に正座させる教師がいた。
それは「食べものを粗末にしてはいけない」という共通認識を忠実に守った教えかもしれないが、人間の尊厳なんてものは考慮に入れていない。

ここで初心に戻って、考えたい。
自分ひとりの力で何ができるかということだ。
常識や他人の目を気にせずに、一人家にこもってじっくり考えたい。
冒頭に挙げたパスカルの言葉は、ポジティブに受け取れば一人になってじっくり考えろという見方もできる。社会の最小単位である一人という状態に満足できれば、ほかの人たちと接してもストレスをそれほど感じなくなるはずだ。