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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

なまけものの起業の仕方

唐突だが、仕事が出来る人間の定義について考えてみたい。世の中には優秀な人は非常に多いが、その優秀さが仕事の成果に結びついていない人が数多くいるように思えたのが、きっかけだ。

水準以上の知性を持ち合わせているのに、仕事の成果がまるで上がっていない人たちは下記の二種類に大別できる。

1. 自己保身のためにしか仕事をしない、社内評価ばかり気にして、その先にあるクライアントやユーザーのことなんて気にかけない。

2. コミュニケーション能力が著しく低く、本当に求められていることが理解できず、無駄な作業が多い。

一時期、このふたつにカテゴライズされた人たちとずっと仕事をしていたことがある。ある意味、修行だった。僕のモットーは「最小限の努力で最大限の成果」というものだ。だが、彼らの仕事ぶりは「最大限の努力で、成果は気にしない。やるだけのことはやったから、自分たちが正しい!」というものだった。

個人的努力を理由に自己正当化する人たちほど、厄介な人たちはいない。たしかに彼らは長時間労働を厭わず、傍目からは「頑張っている」と映っているかもしれないが、ほとんどの作業が「成果=クライアントやユーザーを満足させる」ということを考慮に入れていないので、無駄に終わっている。

一言で言うと、「木を見て森を見ず」ということだ。森を見ないどころか、結果的には森林伐採に明け暮れ、結局は荒野と化する場合も多々ある。(どうしても、そういう人たちのやり取りは荒んでくる)

仕事なんてする必要がなければ、しないに越したことはない。本当にその作業をやる必要があるかどうか十分に精査してから取り組むべきなのに、どうしても彼らは「「アリバイ的作業」に終始し、結局それだけで手一杯になり肝心なことをおろそかにしている。

小売業でもサービス業でも、カメラマンでもデザイナーでも、あらゆる仕事は「顧客を満足させる」ということに最終的には帰結する。そのためには社内評価などは二の次なのだが、たいていの場合それらが優先され、ひどくストレスが多いものになってしまう。

起業して一番良かったと思えることは、仕事をする相手を選べることだ。それぐらいいいことがない限り、起業なんて七面倒くさいことは誰もやりたがらないだろう。優秀な人たちと仕事をすると「1言えば10実行」してくれるので、本当に助かる。制作会社の方々やフィリピンの先生たちには本当に感謝している。

「なまけものの起業の仕方」という本でも出せば売れるのではかと、心底思っている。

(本当に優秀な人たちって、こういう人たちのことを言うのだろう。見習おう!って見習えないか・・・・・)

参考記事:残業代もなければ生産性も低い〜日本人の「労働」に未来はあるか

(上記の記事にあるようにシエスタの国であるスペイン人やイタリア人よりも、日本人の生産性は低い。彼らがゆっくりとシエスタ(昼寝)しているあいだも一生懸命働いている日本人は、たいした成果を手にしていないわけだ。

これからは個人の裁量権が増え、一人の人間でも多くのことが成し遂げられることが可能になってくるだろう。そして、それによってダメな組織はどんどん淘汰されていく厳しい時代になっていく。組織であることのメリットがなくなっていく中、集団として質をいかに上げていくかに取り組まなければ、企業は潰れていく。怖い世の中になったものだ)