チリにいようがアルゼンチンにいようが仕事は続くわけで、先生の面接も引き続き行っている。
フィリピン側から「素晴らしい先生候補がいる」ということで、最終面接を行った。
しかし、結果は残念ながら不合格だ。
彼女は現在、小学校の先生をしており、オンライン英会話スクールでも多少の経験はある。きっと小学校ではそれなりに評価の高い先生だと思うし、英語自体は完璧なので、オンライン英会話スクールでもある一定の層にはアピール出来る。
で、いつも思うのだが、英語が出来たからといって、だからなんだと。
そんなことで自身満々になられても、うざい。
ましてはネイティブスピーカーが何人も所属しているワンズワードでは、別に英語が完璧だからといって、なんのアピールポイントにならない。
「英語の能力」と「英語を教える能力」というのは、似ていても全く異なるものだ。そのことに自覚的ではない先生は、うちでは採用しない。
それに残念なことにフィリピンと日本のあいだには圧倒的な情報格差がある。フィリピンの一小学校教師の人生経験と日本に住んでいる人々のあいだには、そのおかげで持っている情報量に差が出てしまう。
もちろん、それを自覚し、その差を補うほどの優秀な先生がいることは事実だ。うちに所属している先生はそのような先生であると思って採用しているし、そのためにモニターレッスンなどを設けて正式に採用する前に生徒様からも情報をいただいている。
別に日本人を教えるから日本人のことを知るべきだとは思わない。だが少なくても、異国の人間は自分とは全く違う価値観のなかで生き、そこに経済格差がある場合は人生経験においても大きく差がついてしまうことは少なくても自覚すべきだ。
そのような自覚が人間を謙虚にし、学習意欲を高めて、またより良い先生になろうとする動機にもなる。学校というのはとかく閉鎖的な空間なので、「なぜか自信満々」という人種を生成しやいので、前歴が「学校の先生」という場合は気を付けなくてはいけないと思った面接だった。