Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

けっして諦めないことの大切さ:ことばを覚えるということ。

最近、スペイン語に対しての熱も若干冷め始めている。約半年間、根詰めて勉強して、結局この程度かという落胆から来ていることは自覚している。もちろん、それぐらいは十分に予測していたことだが、実際にずっと自分の語学力が足踏み状態だと、嫌になる。

初級から中級になるには、スポーツでも語学でも比較的簡単だ。

しかし、その長い中級レベルを経て、上級レベルに上がるのが非常に難しい。その間、どのようにモチベーションを保つかが鍵になる。

結局のところ、一番手っ取り早い方法は「ライバルを見つける」ということではないだろうか?身近に自分よりもちょっとうまい人がいると、モチベーションは上がるし自分も教えてもらえるしでとても有意義な関係が築ける。(だからこそ、ワンズワードではグループレッスンを無料で開催している)

ただそれでもダレる。それは仕方がない。そんなときは違う先生のレッスンを取ったりしてモチベーションを上げたりするのもいいかもしれない。一番ダメなのは「ちょっと息抜きも必要」と思って学習をおそろかにすることだ。(まあ、かくいう自分も今週疲れたなと思ってレッスンをサボろうとしましたが、身を再度引き締めました)

そんなわけで、今日はロレーナ先生に今週から毎回のレッスン時には作文を書くと高らかに宣言し、少し自分にプレッシャーをかけた。ほんとに小さなことだけど、「口に出す」ことによって逃げ場を失くして、ともかく自分を追い詰めないと、人間なんて努力しない。

そうして先生を変えるということについても、今新しく先生を探しており、ローテーションの編成をいじるかもしれない。まわりに優秀な先生を揃えておくに越したことはない。

「ライバルを見つける」ということに関しては、非常に難しいが、もう少ししたら語学学校に通うことも視野に入れている。今の語学力ではまだ早いかもしれないが、そんなことを言っていたらきりがないので、どんどん自分にプレッシャーをかけて追い詰めないといけない。

と色々と考えていくうちに、僕はドMじゃないかと思い始めた。

他人との競争やテストなどの目に見える成果よりも、自分だけが上達が感じられる瞬間のほうが心底満足感を得られる。

たとえば、テニスなどでも試合の結果よりは、自分がその日に満足できるサーブを打てたかどうかのほうが気になる質だ。なにか精神的に病んでいるのかもしれない。言い訳をするならば、人生なんて所詮は自己満足の結果だ。人にとやかく言われるよりは、自分の満足を優先させたほうがより健康的だ。

語学習得なんて、目に見えない成果の積み重ねしかない。どんなに頑張って暗記したところでどんどんと忘れていく。しかし、たぶん記憶の深層には粘膜のようにそれがべったりと貼り付き、繰り返し補強することによってしっかりと根付く。

そうして、初めて言語化かされコミュケーションが可能となるのだろう・・・・・なんて気が遠くなる作業なのだろう。時々、「ボケたか、おれ?」と思うけど、それはまだまだ「粘膜の補強」が足りないのだろう。