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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ネイティブスピーカー並に英語が話せるようになるか?:学習目標と達成目標の違い

結論から言うと、無理です。
ネイティブスピーカー並の英語力というものが具体的にどのようなレベルの英語力を示すのか色々と議論はあると思うが、語学学習というものはゴールのない継続的な努力を必要とするものである。

このことについて多くの英語学習者が大きな間違いを犯している。

上記の本の著者であるダニエル・ピンクはそのことについて面白い指摘をしている。下記がその引用だ。

”人は知能について二つの異なる観念を抱いているという。「固定知能観」を抱く人は、知能とは存在する分しかないと考える。もともと限られた量しか備わっていないので、増やすことはできないという考え方だ。一方、「拡張知能観」を抱く人は異なる見方をする。知能は人によっては少し異なるかもしれないが、最終的には努力によって伸ばすことができる、と考える。”

これは元々はスタンフォード大学の心理学教授ドゥエックという学者が唱えている説の引用である。続けて、学習者の目標設定についても言及している。

”目標には二種類あると指摘するー達成目標と学習目標だ。”

実際のテストで難易度の高い問題に遭遇したときに、この違う二つの目標を抱く生徒たちは全く異なる反応を示す。いわく「それが得意と感じていなくても、学習目標があれば生徒は粘り強く頑張れる。結局のところ、彼らの目標は学ぶことであり、頭が良いと証明することではないからだ」と述べている。

”確かに二つの知能観は、努力についてまったく異なる見方をしている。拡張知能観にとっては、努力は肯定的だ。能力は鍛えられると考えられるので、努力は向上の手段とみなす。対照的に「固定知能観は・・・・・容易な成功法を探ろうとする」とドゥエックは語る。このバターンの人たちは、努力する必要があるのは自分がうまく対処できないから、とみなす。したがって、容易に達成できそうな目標を選ぶようになる。現在の能力の確認となるだけで能力のさらなる向上にはほとんど役に立たない。ある意味、固定知能観を抱く人は、熟達する努力をせずに、マスター(達人)と見られたいと望んでいるようなものだ。”

この説を分かりやすく説明すると「ネイティブスピーカー並の英語力を身につけることは学習目標であり、TOEIC900点を目指すことは達成目標である」ということだ。逆説的に聞こえるかもしれないが、達成できないことを目標とすることを学習目標と呼び、達成可能な容易な解決法を見つけられる目標を設定することを達成目標と呼ぶ。

人は自身の能力について分かりやすい尺度を求める。「英語が話せる」と言ったところで、ほかの人には何も響かないことが多いからだ。しかし、英語あるいはほかの言語を学ぶということは、最初から学習目標をきちんと設定し、そこまでに必要な過程をきちんと認識する必要がある。英語学習者のなかにはTOEICで高スコアを取ることに第一義に置いて、このことを全く意識していない人たちが非常に多い。

TOIEC自体は優れたアセスメントテストではあるが、会社や大学などでの運用方法に大きな問題がある。TOEICである程度、基本的な英語力を計ることは可能だが、「英語がビジネスで通用する程度に話せるかどうか」などは判定できない。それを認識した上で、企業は独自にスピーキングテストなどを導入して、正しく英語力を計る必要がある。

学習目標と達成目標は人生そのものについても、深い示唆を与える。人生の目的を達成目標(年収1000万円を稼ぐ、いい結婚相手を見つける、一流企業に就職するなど)にすり替えると、そこに人間的な向上はない。しかし、人生の目的を学習目標のように「達成不可能な目標」に設定すると、絶えざる努力が必要となり、人間的な向上が期待できる。

古今東西の偉人たちは、成したことには一切の興味を抱かず、これから成さんとすることに全身全霊を捧げてきた。それは彼らが人生について深く理解していたからだろう。卓越した個人を育てていくには、そのような理解が必須だ。

ネイティブスピーカー並の英語力を身につけることは無理と理解しつつも、絶えずそれに向けて学習していく人こそ、正しい英語学習者と言える。彼らはその時点で「人生の達人」なのだ。