日本に帰ってきてから何度なく「どうしてブエノスアイレスに住んでいるのか?」と訊かれる。それはそうだ。ブエノスアイレスの生活を訊かれると、「治安は悪く、サービスの質は最低で、物価は日本よりも高い」ことに言及せざるを得ないからだ。
こんな家具職人がまかり通っている国だ。日本の高品質のサービスと比べれば、正直お話にならない。でも、僕はやはりブエノスアイレスに帰る。
日本は最高だ。
治安もいいし、食べ物は本当においしいし、サービスはどこにいっても本当に素晴らしい。
それでも、ブエノスアイレスに今は住みたいと思う。
なぜか?
それはたぶんアルゼンチンの人々が悪意のない人々だからかもしれない。
彼らはもちろん、楽して稼ぎたいと思っているし、隙あればすぐに人のものを盗もうとする。しかし、そこにたいした悪意はない。なんというか、彼らがやることはどこか抜けていて、ある種憎めない性質の物が多い。
以前、アゴラでグローバル企業の多くは精神分析をすると、「サイコパス」と診断されると書いた。サイコパスの特徴は下記だ。
1. 極端に自己中心的
2. 慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無い
3. 冷淡で共感がなく、自分の行動に責任が取れない。
4. 他人への思いやりがない。
5. 人間関係を維持できず、他人への配慮に無関心。
6. 利益のために嘘を続け、罪の意識がなく、社会規範や法に従えない。
ある意味、こうでもしないと先進諸国では成功出来ない。人を踏み台にして、そのことに関して無表情で済ませる人間が「成功者」となれるのが、我々が築き上げた資本主義のシステムだ。
しかし、アルゼンチンのような国では、まだ悪意がなくても成功出来る。ただひたすら働けば、ある程度の生活は確保できる。そこがあの国のどこか牧歌的な雰囲気に繋がっているのだと思う。
もちろん、多くの日本人はとても親切でやさしい人たちが多い。しかし、仕事に対して厳しいあまり、過剰な要求をしたり、平気で人に無駄な時間を費やさせることも事実だ。過剰な要求を真摯に受け止めすぎて、皆どこか息切れしている。
「どこまでが適切で、どこまでいったら過剰となるか」
そのあたりをきちんと見極めて、適切に対応しないと、苦しくなってしまう。
アルゼンチン人に日本には「お客様は神様です」という言葉があるというと、たいてい鼻で笑われる。あの国では、客の立場は著しく低いから、彼らはそれがどういうことか理解できないのだろう。
頼んだものは持ってこないし、期日通りには何も行われないし、何度確認しても何もしない。彼らの関心は「自分」にあり、客なんて生きものにはたいした関心はない。
時々、日本人とアルゼンチン人を混ぜれば、客とサービス提供側に適度に緊張感があり、サービスはきちんと行われる住みやすい国が出来るのではと思う。
このあいだとあるチェーン店のうどん屋に行って釜揚げうどんを頼んだ。そしたら「今から茹で上げますので、あと7分お待ちください。茹で上がったらお持ちします」と言われた。5分でも10分でもなく、7分。実に日本らしい。
だけど、待てど暮らせどうどんは運ばれてこない。まだ朝の早い時間帯だったので、客は誰もいない。だから、きっとほかのことで忙しくなって忘れてしまったのだろうと思って、カウンターまで取りに行った。
お店の人はとても恐縮して「本当に申し訳ございませんでした」と謝る。べつにたいしたことでもなんでもないし、人は忘れる。よくあることだ。
お店を出るときもまたわざわざ「本当に申し訳ございませんでした」と謝った。こちらの居心地が悪くなるくらいの対応だった。たかがうどんだし、こちらもそこまでの対応を特に期待していない。
普段、アルゼンチンでなんでも待たされている自分のような人間にとってみれば、うどんがきちんと出てくるだけで感動ものなのだ。
ただきっとこれは裏を返せば、お店の人がこうまでして謝らないと、クレームをつけたり、悪口を言ったりする客がいるということだ。
過剰な要求は悪意を引き起こす。
以前、仕事で韓国の会社にソフトウェアを発注して、しかし大幅に納期に遅れたことがある。こちらはあくまで仲介なので、クライアントとの間に立って、ひどい目にあった。大阪にある大学に何度も足を運び、それこそ何度も何度も謝った。今から思えば、くだらない。だが、当時は必死だった。
すべてのサービスはつつがなく運び、そこに遅れは発生しない。その前提で成り立っている日本のシステムは、それが万が一遅れた場合、多大なコストを支払うことになる。
それに耐え切れなくなった人は自殺したり精神疾患を抱えたりする。この素晴らしいサービスは、そのような犠牲のもとに成り立っているものだ。「弱肉強食」といえばフェアだが、その強さに悪意が入ると、物事は複雑になる。
悪意は人からは見えない。
多くの人は仮面を被って、自分の悪意をひた隠しにしているし、その本人すら自分の悪意に気づかない。ブラック企業の社長は我が物顔で、自分の会社を自慢するし、口からは「社会貢献」「ソーシャルビジネス」なんて気の利いた言葉を吐く。
過剰な要求は、それはすでに悪意そのものだし、要求した側にしかメリットを引き起こさない。
生活する上ではこのうえなく生活をしやすいが、この国で働くと、悪意にさらされる危険を伴う。「たかが仕事じゃないか」という感覚はこの国にはない。バイトでもなんでもお金が一円でも発生した時点で、完璧さを求められる。
それでもやはり日本は素晴らしいと思うし、いまだ世界の最先端をいっている。そして、ますます発展していくだろう。だが、この悪意についてきちんと自覚していないと、足元をすくわれてしまう。
他人にはやさしいが、身内には厳しい世界なのだ、ここは。
アミーゴを大事にするアルゼンチンとは違う。ただの他人のためにそこまですることはないし、もっと家族を大事したほうがいいのにと他人ごとながら心配になってしまう。
とりとめのないブログになってしまったが、日本滞在もあとわずかだから、精一杯楽しんでいこうと思う。