Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

そうして、そのときが来るまでに:音楽の都ウィーンにて

ロンドン、ウェールズ、それにまたロンドン、そしてブダペスト。それから雨が続いた二日間をスロバキアのブラスティラバで過ごし、今日オーストリアのウィーンに到着した。

ウィーン

やはり半年に一度は先進諸国の空気を吸うべきだと思う。 豊かさが違う。

では、豊かさとはなにか?

それを一言で言い表すのは難しい。

たとえば、ここヨーロッパでは仕事は、ある程度の誇りと社会性を持って行われている。誰もが社会の一員だと意識し、そのコミュニティのなかで多かれ少なかれ貢献しようという意識はある。そうでなければ、これほどの歴史的建築物や文化をずっと維持するのは不可能だ。

自分が2年過ごしたアルゼンチンではその意識は皆無だし、メキシコですらそのような側面から見れば、似たり寄ったりだ。またずっと仕事上関わりのあるフィリピンも、そんな高貴な心を持った人たちはそう多くはいない。 (だからこそ、そういう人たちにそういう国で出会えば、率先して雇用するし、これからもそうするだろう)

アルゼンチン人は政治の話が大好きだ。

でも、彼らは自分たちのことを棚に上げて、「自分たちとは全くの無関係」と思うからこそ、自国の政治の話をするのが好きなのだ。彼らは「すべては大統領が悪い」などとどうでもいい程度の低い政治の話をして、すべての責任を他人に転嫁する。

自分自身の意識、仕事に対する態度、他者に対しての思いやり、そんなものがすべて自国の政治や経済に繋がっている意識なんて皆無だ。

すべては他人事に過ぎない。

豊かさとはそのようなものとは正反対のところに位置するところから生まれる。利他の心がなければ、豊かな文化は育たない。文化とは自己の利益を顧みず、後世がもっと良くなるように自分の身を費やして、それが集団知として共有されて形成されていく。

ガウディの建築なんかはきっとその最たるものだろう。 ガウディが偉大とは思わない。

だが、それを実際に建てようと己の身を費やした数知れない無名の人たちのことは偉大だと思う。 すべての功績はガウディに集約されるにも関わらず、彼のビジョンを200年以上の間実現しようと苦労していた人たちにはもっと敬意を払うべきだ。

そうして、それが文化となり、後世に残る。

モーツァルトは偉大な音楽家だった。だが、彼の音楽家が後世に残るように心血を注いだ人たちが多くいた。だからこそ、彼の音楽はこの現代で受け継がれている。もちろん、それは後世に残すべき価値があるべきと多くの人が思ったからこそ、成し遂げられた偉業だ。

でも、きっとモーツァルトと同じような才能を持った音楽家がとんでもない僻地・・・・例えば南米のスリラムのような国に生まれていたら、彼の音楽はこんな多くの人たちに伝わっただろうか。テレビもラジオもない、ましてはインターネットもない時代だ。

豊かな文化とは、他人の才能を素直に認め、それを後世に伝えようとする、そのようなささいな行動から生まれるのかもれない。

そうして、この国境のない時代に僕たちはどのような文化を後世に残せるのだろう?

きっと、それが見たいがために今のところ自分を発展途上国に身を置いて、その様子を見守っているのかもしれない。

アメリカからマイクロソフト、アップル、それにグーグルが生まれた。 現代の文化は最新のテクノロジーによって生まれるはずだ。

でもきっと、あと10年もすれば、ほかの場所から革新的なテクノロジーが生まれると思う。願わくば、それが世界の辺境からであって欲しい。そうして、そのために自分の努力がその一助となれば嬉しい・・・・なぜなら、そうなれば僕たちはきっとその頃にはとても平等な世界に生きている可能性があるから。

そのときが待ち遠しい。